合格実績(2026年)
- '98年度
- '99年度
- '00年度
- '01年度
- '02年度
- '03年度
- '04年度
- '05年度
- '06年度
- '07年度
- '08年度
- '09年度
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- '11年度
- '12年度
- '13年度
- '14年度
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- '20年度
- '21年度
- '22年度
- '23年度
- '24年度
- '25年度
- '26年度
(以下:敬称略)
2026年度合格実績(在籍者20人中)
| 大 学 | 学部 | 学科 | 氏 名 | 出身高校 |
| 京都大学 | 医学部 | 医学科 | 山﨑 隆佳 | 東大寺 |
| 京都大学 | 医学部 | 医学科 | K・M | 堀川 |
| 京都大学 | 理学部 | 近藤 すばる | S高等学校 | |
| 京都大学 | 工学部 | 情報学科 | 平澤 紗 | 堀川 |
| 京都大学 | 工学部 | 情報学科 | 鈴木 富賀 | 水都国際 |
| 京都大学 | 経済学部 | 林 七星 | 立命館 | |
| 東京大学 | 文Ⅲ | 福永 悠大 | 洛星 | |
| 京都府立医科大学 | 医学部 | 医学科 | 橋本 敬佑 | 洛星 |
| 大阪大学 | 工学部 | 応用自然科学 | 植松 莉央 | 堀川 |
| 大阪大学 | 工学部 | 環境・エネルギー工学科 | 信定 音瑛 | 立命館 |
| 大阪大学 | 薬学部 | T・Y | 堀川 | |
| 大阪大学 | 法学部 | 国際公共政策学科 | M・Y | 北野 |
| 大阪大学 | 経済学部 | K・H | 西京 | |
| 大阪大学 | 文学部 | 藤原 菜乃 | 堀川 | |
| 名古屋大学 | 農学部 | 生物環境科学 | S・A | 四天王寺 |
| 京都工芸繊維大学 | 工芸科学 | 応用化学 | 乾 貴博 | 立命館 |
| 大阪公立大学 | 工学部 | 応用化学 | 倉本 圭 | 洛星 |
合格者の声
京都大学医学部 山﨑 隆佳 東大寺
中学時代は塾無しで学校と部活中心の生活を過ごし、高校に上る前の春休みに稲荷塾に入塾しました。
春休み中は週に3週間分ぐらい進めるなどして数1Aを終え、高校1年で上半期に数ⅡB、下半期で数ⅢCを学びました。
高1の終わり頃、そんな事を言うのはためらわれるぐらいの成績だったのですが、京大医学部に行きたいという相談を稲荷先生にすると、「こうすれば可能性はなくはないと思う」といろいろ提案をしていただき、それに従って、数学は演習1のクラスのほかに個別指導で数ⅢCや数Ⅲ演習を学習させてもらい、それらの復習をそれまでより真面目にやりました。理科の2科目はこのとき稲荷先生に伝授してもらった方法で自学をすすめ、「ところで英語は得意なのか」と聞かれて、実は弱点だった英語も個人塾を紹介してもらい少しずつ改善していきました。
高3では演習2と演習3の2クラスに参加し、3年間、本当に少しずつ成績はよくなっていきました。
高2で受けた駿台全国模試や、高3で受けた冠模試ではどれも判定はC、D、Eしかありませんでしたが、それでも教えてもらったように勉強を続けることで、最後の模試が終わったあとも、本番まで実力を伸ばし続けられたように思います。
稲荷塾が無かったら京大医学部に現役で合格することはできなかったと思います。このような親身な指導をしてくださった稲荷塾に、僕は本当に感謝しています。
京都大学医学部 K・M 堀川
高校数学の範囲学習を早めに終わらせ演習期間を取るというカリキュラムと、アットホームな塾の雰囲気や先生の人柄に惹かれ、高校入学と同時に稲荷塾に通い始めた。高一の上半期で数ⅠAを、下半期で数ⅡBを、高二の上半期で演習Ⅰを学習した。自分で参考書を読む勉強法は得意で、反転授業の仕組みは効率的だと感じたが、数学が苦手だったため、塾で想定されているより大幅に予習に時間がかかり、日々の自主学習はほぼ数学に充てられた。テキストや小テストを繰り返し復習し、単元テストでは比較的いい成績を収めていた。当時は京大工学部を志望しており、模試(英数国のみ)の結果が悪くなかったこともあって、焦りはあまり感じていなかった。ちなみに建築と地球工志望だった。化学基礎では学校の授業について行けなくなったが、二年から巻き返せるだろうと楽観視していた。しかし、高二になってすぐ、志望校を京大医学部に変えたので、突然模試の判定がAからDになり、悠長なことは言っていられなくなった。高二の下半期では演習Ⅰに取り組みつつ、数ⅢCを学習した。下半期の演習Ⅰでは、初見で解き切れる問題はほとんどなかったが、解答を見ると理解できる難易度の問題が多く、何回か解き直して解法を頭に入れた。高三では通年で演習Ⅱと演習数ⅢCを学習した。演習Ⅱレベルになると、範囲学習のように反復して解法を頭に入れるだけでは太刀打ちできなくなり、解答を読んでも分からない問題も増え始め、先生に対面やSlackで適宜質問をして何とか理解しようとはしていたが、苦戦していた。直前演習では、解ける問題を見定めそこに注力する、という作戦を立てて挑んではいたが、なかなか好成績は収められかった。
冠模試の判定は京医Cが多かったが、Dのこともあった。特に理科では中高一貫校の生徒に遅れを取っており、物理化学ともに成長の余地があった。京大医学部では得意科目である英語の傾斜配点が大きかったため、英語でアドバンテージを取って逃げ切ろうと思っていた。
共通テストは無難に乗り切り、ボーダーちょうどの点数を取ることができた。後期のことを考える余裕もなく京大医学部に出願し、すぐ二次対策に移った。調子が悪くなければ何とか100人に滑り込むことができるはずだと考えていた。しかし本試では、英語が易化して周りと差を付けられず、第一試験室の空気にも圧倒されてしまい、他科目でも思うように解けなかったため、不合格を確信した。
そこで、なんと(不)合格発表前から来年の勉強を始めた。最初は会員制自習室に通うことも考えていたが、一年間一人で頑張り続けられる自信はなく、駿台に通うことに決めた。駿台では、志の高い実力派に出会えてモチベーションが維持できたし、今まで全く接点のなかった人たちとも仲良くなることができたので、非常に実りのある一年になった。授業の質も高かったが、実力を伸ばすために一番必要なのは自習だと思う。自分は夏頃から、朝一で駿台に行き夜は閉館まで自習というルーティーンを確立し、受験前日まで続けていた。移動時間が勿体なく思う人もいるかもしれないが、自分は駿台の自習室の空気の中だと集中力が激増するように感じたので、結局最後まで通った。また、特に直前期にもなると日中はひたすら机に向かっていたが、たまに時間が被った友達と一緒にご飯を食べたり、最後まで自習室に残っていた友達と喋りながら荷物を片付けたり一緒に帰ったりすることでリフレッシュでき、精神的にもかなり安定していた。予備校では良い友達を作ることをお勧めする。
浪人時の模試はB判定かC判定が多かった。実力が上がってきているのは感じたが、最後まで余裕は全くなく、阪大実戦の結果が良かったのもあり、志望校を阪大に変えることは常に考えていた。
共通テスト対策は、地理を12月から、数学を12月中旬から、他の科目は年末から始めた。実力的にはほとんど解けるはずの難易度なので、失点したところは原因を明らかにし、ノートにまとめて見返すようにした。結局共通テストは普通に上手くいき、ボーダーよりやや上に位置できたものの、出願ギリギリまで京大と阪大で迷っていた。それでもやはり何としてでも京都大学で大学生活を送りたいという思いが非常に強く、後期の奈良県立医科大学が手堅かったことも踏まえ、最終的には京大に出願した。それから二次試験まではひたすら数学や理科の京大模試過去問を時間を測って解いた。ここで、実力だけでなく、実力あたりの得点力も向上した。
二度目の京大本試は、昨年と同じ試験室で受けることになった。完全に孤独だった昨年とは違い、駿台で見知った顔ぶれが何人も同じ教室におり、休憩時間に雑談したり外を歩いたりしてリラックスすることができた。どの科目でも、できる限りのことを解答用紙に書き連ねて提出した。最後の理科が終わったとき、これだけやって落とされるのなら、自分は以後何年やっても京医には入れないだろうと思った。翌日の面接はうまくいった。ただし、高一のときの化学の成績が悪すぎるのを突っ込んで訊かれた。一念発起して得意科目にまで持っていったことを主張し事なきを得たが、このように調査書には大昔の出来事も記載されるので要注意である。
翌日から後期試験の対策に移った。家ではとても集中できないので駿台に行ったが、自習室利用者は大幅に減っており、前期試験直前のような冴え切った緊張感も既になく、前ほどは集中できなかった。奈県医を受ける友達と一緒に時間を測って過去問を解いた。他大を受けた友達の合格が徐々に判明していき、駿台はますます閑散としていった。3月10日、合格者発表サイトに自分の番号があるのを見つけた。同時に、切磋琢磨してきた友人の番号がないことも知った。京大医学部の厳しさを改めて実感し、相応しい努力を続ける責任を感じた。
京都大学理学部 近藤 すばる S高等学校
親の勧めで中1から稲荷塾に通い始めました。それは中学受験後で、勉強をするのは止めたいと思っていたところだったので、初めはあまり楽しいものではありませんでしたし、すぐに解消できた問題ではありませんでした。ですが、学んでいくうちに、自分の実力ではなかなか答えられない問題を解き切ることの楽しさを知ることができ、また、論理に基づいて考えることができると必ず分からないところは無くすことができる、そのような国語などにはない絶対性が魅力的に感じるようになりました。
中学の途中でそのように思うようになってから高校2年生までは、数学のその面白さ、稲荷塾で与えられる思考を要する良問や、参考書ではあまり取り上げられない、けれど入試で出題されると経験の差が表れる解法に驚きや楽しさを感じていました。明確な理由があったわけではありませんが高校からは通信制に通うようになっていて、1日10時間の勉強は当たり前でした。その内訳は数学と英語が大半でした。おかげでこの二科目は十分に力がつきましたが、受験年になって物理と化学に大きく時間を割かなければいけなくなり、十分な実力はあると考えていた数学の時間を大幅に減らしました。塾がある日を除いて、一日2問程度しか解いていませんでした。その結果、冠模試の数学の成績は下がる一方で稲荷塾で解く問題も正答率は芳しくない状況が続きました。共通テストは文系科目や情報で得点できず、80%に届かないという成績で、他の京大受験生に後れを取る形になりました。
その後の2次試験から共通テストまでの勉強で数学の勉強時間を戻しながら、理科を伸ばすことに努めました。試験本番は数学ができたように感じていたものの、数学ではケアレスミスや考えが浅かったために正答に辿り着けない問題が多く、比較的良くできたであろう他科目で補ってくれることを願うしかありませんでした。結果として合格を勝ち取ることができましたが、最後に稲荷塾とそれに基づく自学習で培ってきた確かな数学力を発揮できなかったのが悔やまれます。しかし、京大を目指す、そして合格するまでに至った理由の一つに稲荷塾の確かな支えがあったからです。6年間本当にお世話になりました。
京都大学工学部情報学科 平澤 紗 堀川
私は高校1年生のときに稲荷塾に入塾しました。入った当初は、問題の解説を読んでも理解できないことが多くありました。しかし、先生に質問すると、単に分からない部分を教えてくださるだけでなく、その問題の背景や考え方まで丁寧に説明してくださり、次第に他の問題にも応用できる力が身についていきました。一方で、この頃は復習にあまり力を入れておらず、せっかく学んだ内容を十分に定着させられていなかったと感じています。
高校2年生の終わり頃からは受験を強く意識するようになり、復習の重要性に気づいて、以前よりも丁寧に取り組むようになり、解答を読んでも理解できないことが次第に減っていきました。また、すぐには理解できない問題でも、粘り強く考え続けることで理解に至る経験を重ね、着実に力が伸びていったと実感しています。高校3年生の夏に受けた冠模試ではD判定となり、志望学科を変えるべきか悩みましたが、「結果に一喜一憂しすぎないことが大切だ」という先生の言葉を信じ、情報学科を目指して勉強を続けました。また、理科に重点を置くべきというアドバイスを受け、理科にかける時間を増やしました。秋の冠模試も良い成績ではなかったものの、夏より成長している感覚がありました。
共通テストに関しては、それまでの模試の結果からある程度自信があり、直前まで二次試験対策を優先していました。しかし今振り返ると、配点の高い地理や情報にはもっと時間を割くべきだったと感じています。本番では地理の点数が伸びず、目標点には届きませんでした。それでも二次試験の過去問演習では合格最低点を上回ることが増えていたため、二次試験で挽回できると信じて勉強しました。数学については、これまでに間違えた問題を中心に解き直し、基礎の確認を徹底しました。
本番の試験では、どの教科も落ち着いて取り組むことができ、ベストを尽くせたと思っています。そして無事に合格することができ、本当に嬉しいです。この3年間、支えてくださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
京都大学工学部情報学科 鈴木 富賀 水都国際
私は中学2年生の頃、母の勧めで稲荷塾に入塾しました。家と塾が遠かったこともあり、最初の半年間はオンラインコースを受講していました。しかし、強制されない環境の中で自分の怠け癖が出てしまい、その状況を変えるために通塾コースに切り替えることにしました。
稲荷塾では、日曜日以外は午後から自習室が開放されています。目の前に先生方がいらっしゃる環境は、私にとって大きな支えとなりました。
もともと数学は一番好きな科目でした。決して簡単ではありませんでしたが、先生方が非常に分かりやすく教えてくださり、一つ一つ理解を積み重ねるうちに、ますます数学にのめり込むようになりました。
その後学習を進め、高校二年生で演習1、高校三年生で演習2とIIICの授業を受けました。そこでは、それまで身につけてきた知識を過去問を含めた演習問題でアウトプットし、自分の武器にしていくことが求められました。難易度が高く、時には初めて触れる考え方もありましたが、それを理解していく過程がとても楽しく、次第に自分の数学力にも自信が持てるようになり、数学で有利を保てたことで理科や英語など他の科目にも安心して時間を割くことができました。
また、受験について具体的なビジョンを持てずに漠然とした不安を抱えていた私に対して、興心先生がご自身の経験をもとに理科の勉強法や学習計画、おすすめの参考書などを教えてくださいました。それが受験勉強において大きな助けとなりました。
冠模試でも数学で安定して得点することができ、自分でも満足できる成績を維持することができました。そして本番でも、難化した中で当初の目標であった4完以上を達成することができ、第一志望である工学部情報学科に合格することができました。
稲荷塾での学びと先生方の支えがあったからこそ、第一志望に合格することができたのだと思います。これまで支えてくださった先生方に心から感謝しています。
京都大学経済学部 林 七星 立命館
私は稲荷塾に通っていた兄の影響で中学2年生の時に稲荷塾に入塾しました。中学2年生の間に中学数学を学び、中学3年生からは高校数学を学び始めました。高校数学を始めてからは予習のサイクルをうまく自分で回せていなかったことで、稲荷塾での授業のスピードについていくことが難しくなっていきました。でも、復習してなんとか分かるようにしていき、学校での授業では余裕が生まれていました。
高校2年生になる頃には、高校数学ⅠAⅡBを終わらせ、演習Ⅰを学ぶことになりました。
しかし私は中高一貫校でフェンシング部に所属していて、高校からは大会が多くなり、練習日数も増えたため、本来の演習1の授業の曜日に塾に行くことができなくなってしまいました。そこで稲荷先生が別の曜日に演習1を見てくださり、稲荷塾で学び続けることができました。稲荷先生が柔軟な対応をとってくださったおかげで勉強と部活との両立を図ることができました。
そうして始まった演習1の授業でも相変わらずついていけず、分からないところだらけでした。この頃から模試の数学の点数がどんどん落ちていき、さすがにこのまま数学を放置してはいけないと思うようになりました。かといっても部活が毎日ある中で、なかなか家での勉強時間を取ることが難しかったので、稲荷塾に行って演習1の授業で出てきたプリントの分からないところがあれば稲荷先生やチューターの先生方に質問して全部の問題が分かるようになってから帰るようにしました。それを毎週続けていくうちに、次に同じ問題が出たときに、問題の解き方の筋道が立つようになっていました。
高校3年生の夏までは試合や遠征が多い時には毎週のようにあったので、家では全く勉強時間が取れていませんでした。それでも、塾で解く問題は少しずつできるようになっているのを実感し、夏の冠模試の数学では目標としていた5割を取ることができました。秋頃の演習では本番が近づいてくる焦りから時間配分に失敗したり、問題を解く糸口を熟考できなくなっていました。しかし「問題文を見たらまず色々試してみて状況を理解する」「解答に辿り着くまでの流れをイメージしてから解く」という稲荷先生の言葉を問題を解く際にいつも思い出して、実践することで初見の問題も解けるようになりました。
そうはいっても、問題が解ける時と解けない時の点数の差が激しく、秋の冠模試では数学の点数がかなり悪かったこともあり、常に数学に対する不安が1番大きかったです。
実は私は京都大学に一般入試で合格するための準備をすると同時に、WYM(World Youth Meeting)という英語プレゼン大会で最優秀賞である文部科学大臣賞を受賞した経験を活かして特色入試の準備もしていました。私が志望していた経済学部の特色入試は学校推薦型選抜という方式で、出願するにあたって高校の成績が4.3以上であったり、英検準一級以上の英語力を持っていることなど様々な条件を満たす必要がありましたが、私は高校一年生の頃から志望大学は決まっていなかったものの推薦入試を視野に入れて、課外活動に積極的に参加したり、そういった条件を満たすようにしていました。また「学びの設計書」という大学での研究計画書を書く必要があり、私はこれを8月の下旬から始め、完成まで一ヶ月ほど要したので、他の勉強を圧迫することになり、かなり焦りました。
さらに経済学部の特色入試では共通テストで英語と世界史が9割以上、全体で8割以上の点数を取る必要があったので、11月ごろからはずっと共通テストの勉強をしていました。
そして共通テストでは無事それらの条件を満たし、最終的には京都大学経済学部に特色入試で合格することができました。
特色入試で不合格だったとしても、一般入試で京大を受けるつもりでした。それは数学以外の教科が得意だったことに加えて、数学でも合格点に達することができるかもしれないと思えたからです。全教科の中で1番苦手だった数学で、京大の問題が解けるようになるまでになれたのは稲荷塾のおかげです。支えてくださった皆さん5年間ありがとうございました。
京都府立医科大学 橋本 敬佑 洛星
僕は中三の途中に友達に紹介されて稲荷塾に入った。青チャートと稲荷の独習数学を読みながらひたすら予習を進め、高一の春休みまでに青チャート3冊をそれぞれ三周した。僕は中3の頃に1A2B、高一で数三と演習Iを取っていて、どれも難問で苦戦した。僕は昔から予習はするが復習は頑なにしない性格で、毎週稲荷で新たな難問に出会うのが1番の楽しみだった一方解き直しせずに終わっていたことがほとんどだった…その後は数学という学問に没頭し大学数学を勉強していた。このおかげでどんな難問にも動じることがなくなった。
僕はテニスをかれこれ10年以上しており、中高でキャプテンをした。勉強と部活の両立が僕の強みで学内では常に10番以内をキープし、部活では京都招待選手に選ばれた。部活ではコミュ力やリーダーシップなど生きる上で必要なスキルが身についた。週末は大体壁打ちしたり友達と練習したりして過ごしていた。高三の5月に引退し、大好きなテニスが封じられるが辛く、受験期でも欠かさず丁寧に素振りしていた(笑)。今まで体と頭をうまく使ってきたのが高三は頭だけ使うので自分のリズムがだんだん狂い出し、メンタルが弱くなるのを感じた。皆は受験期だろうと必ず運動すべきだ。
僕は高校二年生あたりから人の役にたちたいと思い医学部を目指し始めた。稲荷先生と話して京大を目指すことにした。先生には理科を高二のうちに仕上げなさいと言われたが僕は数学的な証明を排して暗記を強いると化学が高一の頃からどうしても好きになれず後回しになり、結局高三に上がる時には理論しか勉強できていなかった。なので高三は数学の勉強を捨てて理科に徹することにした。理科を焦りながら詰めていき、夏の本レで総合6位をとれたがそこから良い緊張感が失われていき、今思うとそこでかなり遊びすぎたなと反省。その後の秋模試で得意な数学ができず、理科も全然できずに痛い目をみて本気でやばいと思い、基礎からもう一度見直し始めた。12月から共テ対策を始めて今まで体が拒絶反応を示してきた地理、古文漢文、情報にご対面。心の中で泣きながら食らいつた。新年明けてから地理の過去問を解き始め、本番一週間前に国語ができる友達に古文の点の取れる読み方を教わり、前日に初の理科の過去問を解くという究極の付け焼き刃で乗り切った。体調管理が下手くそで本番は39度の熱で闘った。結果なんとも言えない微妙な点数。もう一年同じこと(特に共テ)を繰り返すのは死んでも嫌だと思い、また企業から奨学金を頂けることになっていたので浪人だけは避けたく、二次で勝算の高い京府医に路線変更した。とはいえ京府医の問題はとてつもなく難しく、過去問で半分しか取れない時もあり結構怖かったし(恐怖医)、倍率が3.4倍と例年より高いこともあって不安で2日前までは寝られない日々が続いた。ところが前日はなぜか人生で1、2を争うほど熟睡でき、当日は絶対受かるわという謎の自信があった。最初の化学の大問1がほぼわからず大焦りしたがその後を解き切ってひと安心。その後の物理では近似に手まどい大問1がほぼ手付かず。そんな感じで休憩中はテニスの試合でしてきたように焦ってもポーカーフェイスを保っていたが内心うわ…やばくね?…とザワザワしていた。でも数学で満点をとれば大丈夫やと自分を落ち着かせ、無事数学で巻き返し、合格を確信した。英語は出題形式が変わっていたが適応し、自由英作で結構面白い文章を書けたので手応えバッチリだった。
思い返せば受験をやめてしまいたいと思う瞬間は毎日のようにあった。でも目的を見失わず進み続けてよかったと心の底から思う。
自分の道は自分の前にしかありません。周りに流されて自分を疑った時近道じゃなくなります。最後まで自分を信じて突き進んでください。応援しています。最後に、こんな僕を支えてくれた家族や先生方ありがとうございました。
大阪大学工学部応用自然科学科 植松 莉央 堀川
私は高校に合格した後の春休みに母の勧めで稲荷塾の説明会に参加し、入塾を決めました。稲荷塾の授業は3月に始まるため、高校合格後すぐに高校数学の学習へと移ることができ、そのおかげで入学後最初の模試では数学で校内1位をとることができました。それまで数学に対して苦手意識を持っていた私にとってこの経験は大きな自信になり、その後の学習にも前向きに取り組もうと思えました。
高校1年生の時には数学ⅠA、ⅡBCを学びました。テキストを用いて予習をし、内容を理解することはとても難しく、問題がわからない自分が悔しくて泣きながら予習をしたこともありました。しかし、予習の段階で自分のわからないことを言語化し、先生方やチューターの方々に質問することで、問題を理解できたことの喜びや楽しさを強く感じることができました。
高校2年生では数Ⅲや演習の授業を受講しました。演習の授業では、1年生の時の授業で学んだ知識を使えるようになることが求められ、とても苦労しました。そこで問題が解けなかったとき、解答を理解することだけでなく、なぜその解法が採用されたのかを考えることに重きをおくようにし、少しずつ解ける問題を増やしていきました。
この頃は部活動や探究活動などで忙しく、授業を休んでしまうときも多々ありました。それでもなんとか授業についていくために、いつまでに振替をするのか、自分の中で期限をもうけ取り組みました。しかし、点数はなかなか伸びず、もう一度同じ授業を受講することになりました。正直悔しい思いもありましたが、「ひとつひとつの問題を丁寧に解ききろう」と決心するきっかけとなりました。その後は自分の間違えやすい計算や思いつかなかった考え方などをノートに集めるなどして自分の弱点を潰す努力を続けました。
高校3年生の春、志望校を大阪大学工学部に決めました。阪大工学部には一般入試のほかに学校推薦型という特色入試があります。私はその両方にチャレンジすることを見据え、準備をしていました。私が学校推薦型にチャレンジすることにしたのは、将来学びたい学問が決まっていたことと、ビジネスコンテストや探究活動での受賞歴を生かすことができるからです。春から夏にかけては学校推薦型の書類の準備や面接練習をしながら文化祭での監督の仕事に熱中していました。そのため周りと比べて勉強時間が取れていない自覚があり常に焦りを感じていました。しかし、「時間はつくるもの」と捉えできる限りペースを乱さず勉強し、両立を図りました。秋模試では稲荷塾での直前演習などで学んだ、「解ける問題を解き切ること」や「簡単な数値で試してから一般的に考えること」を活かし、自分なりに良い点数をとることができました。数学に少しアドバンテージがあったことで、弱点だった理科の勉強に力を入れることができました。
学校推薦型は共通テストの結果が大きく影響することから、12月ごろから共通テスト対策に取り組みました。たくさん量を解いて丁寧に復習し、穴をなくすことを目標に勉強しました。特に数学は年末年始に毎日実際の試験と同じように問題を解くことで、時間配分などの戦略を立てることができ、本番でも安定して得点できました。そして最終的に学校推薦型で大阪大学工学部に合格できました。
数学が苦手だった私が志望校に合格できたのは、私の質問にとことん向き合い、わかるまで何度も教えてくださった稲荷塾の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。
大阪大学薬学部 T・Y 堀川
この度、大阪大学薬学部に合格しました。私は将来薬剤師の国家資格を取得したうえで、患者さんに寄り添った新薬開発の研究に携わりたいと考えています。
私が稲荷塾に入学したのは高校3年生の11月ごろです。それまでは塾には行かず、通信教育の教材や学校で購入したワーク、赤本を用いて勉強していました。しかし、過去問の正答率がなかなか上がらなかったり、わからない問題の質問ができないままになったりしていました。そんな私ですが、稲荷塾に入ってから、理科の問題の理解度が上がり、数学の難問に手もつけられないなんてことが少なくなりました。
受験期を通して学んだ大切なことはわからないことをそのままにしないことです。難関大学の二次試験になると、自分一人の力だけでは完全に理解しきれない問題もありました。一方で解説を読んだら分かったような気がする問題もありました。しかし、解説を読んでなんとなくの理解で終わらせてしまうと、もう一度類題を目にした時に同じような場所で詰まってしまいました。稲荷塾では数学はもちろん理科の問題の質問をしても、一緒に解きながら考え方を教えていただいたので、類題に応用しやすくなったと感じました。
私は入塾が高校3年生の11月と遅く、進度も他の塾生とは異なりましたが、私のスピードで問題に取り組むことができました。自分ではなかなか手に入れられない難問に数多く触れ、解き方の引き出しを増やせたことで、本番でも手を動かすことができました。また、理科の問題が理解できるようになったことで苦手意識がなくなり、過去問にも集中して取り組めました。そのおかげで、限られた時間内で記述を書ききる力がつき、本番でも時間内に解き終えることができました。
受験期に培ったことをこれからの大学生活に活かしていきたいです。
大阪大学法学部国際公共政策学科 M・Y 北野
私は文系でもともと数学がとても苦手でした。高校の定期テストでも平均点を下回ることが多く、他の科目で点数を取れても数学が足を引っ張ってしまう状態が続いていました。このままではいけないと思い、同じ高校の数学の得意な先輩が稲荷塾に通っていたと聞き、高校二年生の夏に入塾を決めました。
阪大志望の文系で、数学が苦手な私が数学に特化していた稲荷塾の授業についていけるかどうかという不安が初めは多くありました。しかし、先生に数ⅠAから数ⅡBまでを総復習していただき、それまで理解が曖昧なまま先に進んでしまっていた部分がなくなりました。最初は簡単な内容でもつまずくことがありましたが、丁寧に説明していただいたおかげで、少しずつ理解できるようになり、「わかる」という感覚が増えていきました。
基礎が固まってくると応用問題にも対応できるようになり、点数も徐々に伸びていきました。そして高校二年生の冬頃には、苦手意識がなくなり、数学が得意科目だと感じられるようになっていました。これは自分の中でも大きな変化でした。
高校三年生になってからの模試では、数学が安定して得点源になり、全体の点数を引き上げてくれる科目になりました。以前は一番の不安だった科目が、自信を持てる科目に変わったことは本当に嬉しかったです。数学が苦手だった私でもここまで伸びることができたのは、稲荷塾の先生方が基礎から応用まで段階的に指導していただいたおかげだと思っています。一年数ヶ月という短い期間ではありましたが、大変密度の高い学びを得ることができました。本当にありがとうございました。
大阪大学経済学部 K・H 西京
学校よりも早く、効率よく数学IIBCを理解し、数学でリードを取れるようにと思って稲荷塾に通い始めました。何単元か遅れを取って入塾したこともあり、週に2回のペースで授業と振替授業に出て、数ⅡBCを仕上げました。部活との両立がしやすく、かつ板書などをして取られる時間を省けて、わからないところだけを先生に聞くことができるスタイルが合っていたのだと思います。どうしてもそのままテキストの解答を暗記するだけでは対応できないので、何度も先生に質問をして、本質的に理解することができたことが受験生になっても生きました。難しい公式証明も、繰り返すことで自分一人でできるようになりました。先生が教えてくれたことは、すぐに自分の手を動かして確かめてみることが大事だと改めて思います。模試の結果が良くないとき、塾の授業の受け方をしっかり変えることで、自分の学習方法も確立することが出来ました。
演習クラスでは、講義のときにできるだけ多く基礎事項を身につけることで、後の演習や、それからの模試などでもその効果を実感することができました。数学の普通の教科書に載っていなくても、知っているだけで大違いなので、コツコツと覚えられたことがいい方向に働いてくれたと思っています。加えて、週に1回先生の作った演習問題を解き、そこで足りない知識を補うことで、後の過去問演習にも繋がりました。
今から受験生になる、と2年生の後期に思ったときは、不安ばかり感じていましたが、普段の勉強をより中身の濃いものにしていくことで、受験に受かるはずだ、と確信した時にようやく自信を持つことができました。
稲荷塾の先生たちには、とても簡単な質問から、難解な質問まで、丁寧に教えてくれました。そうして一つずつでもしっかりと理解したことがこの結果に繋がったのだと思います。改めて、本当にありがとうございました。
大阪大学文学部 藤原 菜乃 堀川
多くの人が京大を目指す数学専門塾に、私は数学が苦手な文系志望生徒ととして入塾しました。数学以外はあまり躓いていなかったので、数学だけの環境を作れば、いやでも全体の成績が上がるかもしれないと目論んだわけです。しかし稲荷塾の問題は当然難しく、数式を目の前にして固まることが多々ありました。ですが、そんな飲み込みの悪い私にも、稲荷先生やチューターの皆さんは基本から丁寧に教えてくださいました。また、難しい問題に出会っても絶望しないメンタルを養えたこと、一般的な塾のようにカリキュラムにがんじがらめにならず、自分の習熟度に合わせて数Ⅰを2周、数Ⅱを2周することを選べたことが、自分の中で大きかったです。稲荷塾は、やる気があればいつでも歓迎してくださいます。果たして私に苦手をカバーできるほどのやる気があったかと言われれば怪しいですが、それでも土曜日の自習室にはできるだけ参加し、予習を行いました。ここで、苦手な人間特有の漠然とした質問を投げかけても一緒に考えてくださいました。なにより、チューターさんや先生にいつでも質問できる環境はありがたく、気が引き締まりました。
二次で数学を使うことを考えて稲荷塾に通っていたものの、高3になり数学に代えて日本史で受験することに決めた際も、具体的なアドバイスをいただき、とても心が軽くなりました。
私は結果的に総合型選抜というもので合格しましたが、これは共通テストの点数が肝心です。そのため私にとって、苦手な数学でコケないということが何より重要でした。稲荷塾で苦手なりにも数学に向き合う時間をとれたおかげで、数①②ともに足を引っ張らない点数を取ることができました。高1から稲荷塾で学ぶことができたおかげです。ありがとうございました。
