資格をとる意味はあるか?
松谷です。
資格をとる意味はあるか?
まあ、昔からよく議論されてた話ですね。
まあ、何か物事をやるために必要な免許という意味の資格については、意味あるかうんぬんではなく、ないと土俵にあがれません。
たとえば、医師免許、弁護士免許、薬剤師の免許、国家公務員資格、教員免許、税理士、公認会計士、司法書士、就活における大卒の資格、などなどがそれにあたるでしょうか。
問題となるのはそれ以外についてですね。
たとえば、英検とかTOEICとか、はたまた、大卒のなかでも、東大とか京大とか、もしくは、医学部のなかでも、難度の高い医学部とか。
個人的には、自信と実力がないやつが資格で着飾って周りを固めがちという気がします。
僕なのか?(笑)
はっきり言ってカーメリアが英語の資格取得を目指す必要はないでしょう。というか英検のどの日本人面接官より英語ができるでしょうし、試験で測るということが意味不明なレベルです。強いていうなら、TOEFLとかIELTSの満点をとれるかもってレベルですが、そこまでいくと測ってもねーと。
皆さんが、あなたの日本語力は530000です、とか言われても、はー。そうですか。って感じですよね。それと一緒かと。
つまり、本当の実力があれば、実力を証明するための資格などいらないのかなと。
じゃー、僕がTOEICとか英検の資格をとったのは何故なのか?って話ですよね。
ひとつは、ただの興味です。
僕はセンター試験と東大の2次試験くらいしか公的な試験を受けたことがなかったので、社会人のときに流行っていたTOEICという試験に興味を持ったんですね。周りの人が900点前後だとかいって自慢してたので、自分もとれるのかなと思って受けてみただけです。対策なしで模試みたいなのやったら600点弱くらいだったので、えっ、またまた〜、嘘でしょ?!と思って3カ月対策して受けたところ、初めての公開テストで900点でした。あー、やっぱり慣れが必要なテストだったか、しょうむないな、という感想でした。そのあと、興味を失ってしばらくまったくやりませんでした。
もうひとつは、ゲーム要素プラス虚栄心プラスわずかな実利的要素のないまぜになったものです。
なんかの折に990点満点がすごいみたいな風に煽る記事かなんかを見て、ふとそうなんかなと思って990点満点を目指すことになったんですね。(若いですね笑)最初の数ヶ月で950にはすぐなったんですが、結局990になるにはさらに1年間を使いました。最初からトータルで6回?も受けて。
今なら分かりますが何か中毒になってたんでしょうね。僕はRPGゲームとかでも、結構レベル99にするのが好きなんですね。それで、990にしたんですが、何か得られたかというと何もですね。時間だけ失いました(笑)まあ、結局初めてTOEICに出会ってから、トータルで2年弱?かけて990に達したのですが、確実に言えるのは950くらい取れたら離れるべきテストだなと思います。特に、最後の1年間の勉強は、例えば問題集で、1000問くらい問題を見ても知らないのは、10問くらいとかで、恐ろしくコストパフォーマンスの低い勉強になりましたし、その間の実力の伸びは雀の涙ほどだったと思います。
一方で、英検を受けた理由は、実利的部分と自分の自信のなさを少しでもカバーするためでしょうか。スピーキングなどの訓練をまったくしてこなかった典型的な昔の英語学習者だった僕は、カーメリアのレッスンを受けていても自分の実力のなさにありありと気付かされていましたし、あー、本当にしょぼいなと。それで、少しでも自信をつける意味合いと、何らかの客観的な評価が欲しいと思い、英検1級を受けたんですね。試験として、英検1級を選んだのは、まあスピーキングテストを課す試験のなかではおそらく簡単だろうなという印象と、今後生徒が結構受けることになると思うけれど英検一回も受けたことないから見ておきたいなという理由からです。で、取って感じたのは、これについては、わずかに自信になりました。たぶん、スピーキングテストに受かったからですね。その後、「英語話せますか?」という質問に、「話せます」と答えるようになりました。実力不十分は承知ですがね。
実利的な要素の部分をもう少し強調すると、皆さんが、不安になるであろう新入試の4技能試験を少しでも先立って見ておく存在になることは意味あるのかなと思ったんですね。カーメリアという本物に習っていたら、遅かれ早かれ徐々に本物に近づいていきますけど、もし、資格みたいなものに不安があるのなら、その部分は実はそんな難しくないから、こう対策したらいいよなどと伝えられると思ったんですね。(アドバイスを求められ場合にね。)そういう存在がいたら、塾の集客にも微々たる影響があるかも?と打算的に思ったのも確かです(笑)実際にはほとんど関係なさそうですが(笑)
あとは、東大、京大などに受かることが資格的な意味合いとしてどうかですね。
もう長くなってしまったので、手短かに。
それ自体に意味があるのかはわかりません。就職はだいたいみんないいとこにしてますし、優秀な人に囲まれるので、刺激にはなるとは思います。ただ、それが社会での成功を約束するものではないです。他の大学出身の方の方が活躍するなんて腐るくらいあります。ましてや、幸せを保証するものでは到底あり得ません。まあ、それでも、憧れがあれば、入って向上していって欲しいと思います。多少足りないくらいの実力の子が努力して入った場合まずそのことが人生において一つの自信になると思いますし、レベルの高い周りに囲まれてさらなる向上も望めるでしょう。また、自然にしてても、入れるレベルの子は普通に入って欲しいと思いますし、そこで極めていって欲しいと思います。上位にいるからこそ見える世界がきっとあると思います。入るのだけで燃え尽きるというのだけはダメですね。
僕の仕事に関してだけ言うと、入り口の今だけは、信用度で言うと、高卒や、無名の大学のおっさんであるよりは、東大卒のおっさんであるメリットはあると思います。でも、結局は最初だけで、実際に生徒の教え方、導き方がしょぼければ、淘汰されていきます。
ということで、割に資格全般にネガティブな論調でしたね。資格いっぱいもってる風な僕が何を言うって感じですね(笑)
でも、実際はいいところもあるんですよ。
TOEICだって、基礎的なリスニング力、普通に必要な読解スピードを測るに適していますし、英検なんて無理やりでもスピーキングやライティングについてまがりなりにも勉強する機会が与えられます。また、級が分かれているので、勉強のペースメーカーになりますね。また、東大京大の入試は本当に良問なので、それを勉強する過程で様々なものが鍛えられます。
ということで、資格をとろうとする過程で自分を向上できると考えるならば、意味があるのかなと。
まあ、実際どうとらえるかは自由ですので、1意見として書きました!
2つくらいに分けて書けば良かった。長い。。。
ではでは。