自分で自分を創る
娘が働き始めてから、家族そろっての行動がとりにくくなりました。
たとえば、誰かの誕生日のときにちょっとケーキを食べるなどということも簡単ではなくなったということです。
もちろんお昼間はダメですし、夜私が帰宅してからでは、娘が次の日の出勤を考えて、夜の遅めの時間にのんびりする気にならないというわけです。
それで昨日の土曜日、10日遅れで私の誕生祝をしてもらうことになりました。
まあこの年ですから、祝ってもらうほどのことではありませんが、家族そろって、ということが重要だと思うのです。子どもがいくつになっても。
まあ、嬉しかったです。
さて昨日、驚くほど伸びない子がいるということを書きました。
そういう子の多くは、やりっ放しになっていて、その勉強のやり方を変えて行かないといけないという話でした。
しかし、方法論の前に考え方やその姿勢に問題があると感じる子もいます。
たとえば問題をノートに写す際にミスをし、解いている途中で数字が変わってしまうなどということたびたび起こるようでは、どんなに素晴らしい方法を用いたとしても伸びるはずがありません。
その他では思考が硬く、新しい技術がなかなか入って行かない子もいます。
この場合、もし勉強という土俵で闘うとするならば、自分を創りかえる必要があります。
人は先天的に何らかの才能を持って生まれ、中学生になるまでの家庭環境で生き方の大筋が決まります。
しかしその後、今度は自分で自分を創る段階に入ります。ここでは自分の弱点を認識し、それと向き合い、望む方向に向けて必死で闘わないといけないのです。
自分の人生の責任は自分が負うのです。
これはおおむね成人してからの話ですが、転換期は中学生ぐらいの時期に訪れます。
見ていると、極めて自然に成長していく子もいる一方、激しい葛藤を乗り越えなければならない子もいます。
私の場合、その苦しんでいる子に対して変に褒めたり、優しい言葉をかけたりすることは性格上できませんが、彼らが成長していけるように願ってやみません。