学校を作るぞ(その5)

毎回のブログに対してビューアー数が出るので、それを判断基準にして、いい記事が書けたかどうかの目安にしています。

大体の場合、いい記事が書けたと思うときはビューアー数が上がり、手を抜いたときは下がりますが、自分では判断できないときも多いのです。

もちろん、人気がなくても書くべきことは書かないといけないと思いますが、やはり人気がないと少ししおれます。

それで、「学校を作るぞ」シリーズはどうなのかと言えば、人気がないです。

正直言って、もう書くのはやめておこうと考えていました。

でも、小学生部の連絡帳に「学校を作るぞ」シリーズを楽しみにしているという書き込みが2件もあって、せめてもう一回ぐらいは書こうかと思い直しました。

 

ただ、「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー)に「関心の輪」と「影響の輪」という言葉が出て来て、「影響の輪」に集中すべし、と主張しています。

「影響の輪」は「関心の輪」に含まれていますが、「影響の輪」に集中していない人はそれが非常に小さく、影響力ある人にはなりません。

まず「影響の輪」に集中し、その輪がしだいに大きくなり、「関心の輪」に限りなく近付いた人が影響力のある人だ、との説明になっていました。

そうしてみると、「学校を作るぞ」の話題はどう見ても私の「影響の輪」には入っていませんので、そこに集中するべきではない、となります。

 

そういうことで、まず「塾」に集中し、力を付けて、そこから再挑戦、ということになります。

 

ただし、「リーダーを育成するために」という考え方は塾運営にも通じ、たとえば「教師が90%以上しゃべっていて、生徒は受動的になっている」とガットが批判していることについては考えさせられました。

いい授業ってなんだろう?

分かりやすい説明って、本当にいいんだろうか?

昔、私の大学時代に永宮先生という方の熱力学の講座を取ったことがありました。

この先生は語りがさわやかで、とにかく分かりやすかったので、そうか!と、目から鱗が落ちるような思いで、授業を受けたのを覚えています。

しかし試験前になって勉強を始めてみると、何も残っていないことを発見し、結局一から勉強し直すことになりました。

一方私の担当教官だった今村先生は、学生がしっかり勉強してきていることを前提にぶっ飛ばして行くのです。「分かりやすい授業」とは対極にあるような授業でした。

もちろん私が真剣に学んだのは今村先生の講座です。

 

結局、生徒が自立して行けるように導くのが「いい授業」ということになるのではないかと …。

そのように考えると、何を「自立」と捉えるかも重要になります。

「教師が90%以上しゃべっていて、生徒は受動的になっている」というスタイルでは先生という権威に従順に従うのがいい生徒ということになりますが、それを自立と呼ぶのだろうか、そんなことを目標にしていいのだろうか、と疑問に感じるのです。

結局、生徒が自ら学んで行けるようにすべきで、今、反転授業で数ⅠA、数ⅡB、数Ⅲの授業をするようになって、効率がよくなったということ以上に、その「自ら学んで行く姿勢」を強調できるようになったと思います。

新しい単元を学ぶとき、どこが分かりにくいかは生徒個々によって違いますが、この辺でつまずきそうだと教師が先回りしながら「分かりやすい授業」を展開するのではなく、「稲荷の独習数学」で生徒自身がそれを学びつつ、詰まれば、前に戻って読み直したり、不明な用語を検索してみたり、それでも分からなければ質問に行って、… とするのはとてもいいことだと思うのです。

ですから、あえて分かりにくい授業をしようとは思いませんが、親切過ぎるのもいいとは言えず、「生徒が自ら学んで行けるように」後押しするのが「いい授業」ではないかと思うようになりました。

to be continued … maybe