映像授業の欠点

反転授業は元々アメリカで登校が困難な地域に住んでいる生徒のために考案されたと聞きます。実際に、学校までの距離が非常に遠い所に住んでいる子どもたちは多いだろうと思います。そういう子どもたちに映像授業を配信し、ときどき集まって理解を確認するようなことをしているのです。

こういった情報は、秋田の高校の先生が以前、稲荷塾に見学に来られたときにいただきました。そしてそれの研究会もしているとのことでした。

でもそのときは、たいして重要だとは思いませんでした。まだ、自分の授業に無駄が多いことに気付いていなかったので。

その後、稲荷塾で反転授業を始めてみて、初めてこれが反転授業だったのだと知りました。

ただ、一般の反転授業が映像授業により家庭学習をするのに対して稲荷塾の反転授業は「稲荷の独習数学」を用いて家庭学習をするところが大きく違います。

映像か本か。

もちろん稲荷塾の場合、しようと思ったとしても映像授業を準備することができませんでした。

しかし、結果として本で学ぶ方が圧倒的に効率がいいです。

ずっと読み進めるだけなら映像で学んでも本で学んでも変わりはありません。ですが、実際の勉強においては説明の途中に出てきた公式の意味を確認したくなったり、用語や定義をチェックするために前に戻ったり進んだりするのです。

そういうことが映像授業で自在に行うことができるでしょうか? 当然、できません。

 

それからもう一点。

分かりやすい授業はダメです。

私も長年、分かりやすい授業を追求してきました。予備校ではそのことによって講師の善し悪しが判断されるので。

では、どんな授業が分かりやすいのでしょうか?

丁寧な説明をするだけでは、成績上位の生徒から「くどい授業だ」と見なされてしまいます。

分かりやすい授業をするためには、まず生徒がどこでつまずき、どういう誤解をしやすいのかを知る必要があります。それを知った上で、そういう落とし穴を回避しつつ、より高い観点に引き上げていくのです。

こういう分かりやすい授業を提供する競争に勝った人が衛星予備校などの講師になるのです。

授業は疑う余地なく分かりやすいです。

でも、これではダメです。分かりにくい授業よりはましですが。

 

分かりやすい授業はなぜダメなのか、その理由を説明します。

分かりやすい授業を聴くと、気分は高揚し、分かったつもりになるところがまずい点です。

分かったつもりになっても、実際にはできるようにはなっていないのです。「分かる」と「できる」は大きな差異があり、分かった、といっても分かったことがどのような場面でどのように使われるかを知り、自在に使いこなせるようになるためにはいくつもの段階を上がって行かねばなりません。

つまり、分かりやすい授業を聴いてしまうと、そこからまだまだ行かねばならない道が残されているのに、もう到達してしまったかのような錯覚に陥るのです。

 

では、どんな授業がいい授業でしょうか?

分かったつもりになっていたことが実はまだまだ不十分であり、もっと深く理解しなければならないという事実に気付かせてくれる授業がいい授業だと私は考えています。

To be continued.