どうしたらその発想ができるのか?

三十数年前、数学を教える仕事に就いた私は自らの非力さにショックを受けていました。

それで、1989年に数研の「1989年入試科目本」という問題集の解答を作ってみることにしました。それは巻末に結論的な答えだけが載っている問題集でした。

その中に京大の文系で出題された整数問題があったのですが、解くのに苦労しました。

非常に難しいと感じましたし、こんな問題を題材に教えることができるようになるとはとても思えませんでした。

ですから勉強しました。受験生の何倍もしたと思います。

たくさんの問題集をこなす中で「どうしたらその発想ができるようになるか」ということがテーマになりました。

「大学への数学」なんかが数学の問題集の中では一番難しい部類に属しますが、解けないで解答を見れば、解答は理解できても、どうしてその発想に至ったのかが分からなかったのです。

 

1992年から1993年にかけて初めて京大を受験する生徒たちのクラスを担当し、合格率も高かったこともあり、多少の自信を得て1994年に予備校講師になりました。

そこでD先生に出会いました。私の数学の師匠です。

D先生は京大の入試問題なら理系、文系合わせて11問を1時間ほどで模範解答を作ってしまいます。問題文を読むなり鉛筆がカンカンカンと走り出し、う~んなどと考え込んでいる姿は見たことがありません。一緒のテーブルに座って解答速報を作ったときはすごいプレッシャーを受け、背中を汗がたらぁと流れるのを感じました。もちろん次の年からは一緒のテーブルには座らないようにしましたが、力の差は歴然。自分の数学がまるでダメであることを知りました。

もちろんD先生のようになることを目標として掲げました。しかし、数年もしないうちにとても追いつけないと感じるようになりました。

背景が違い過ぎるのです。D先生は京大の理学部数学科でドクターまで行っていますし、そもそも頭の出来が …

 

そんなとき、京大医学部を受験するある生徒が私の授業を聴いて自分の数学が変わったと報告に来てくれました。

聞いてみると、私の授業は他の誰の授業とも違うというのです。そして問題の読み方が初めて分かったと言って興奮しているのです。

まあ、悪い気はしませんでしたし、鮮やかな解法を示すよりもっと重要なことがあることを悟りました。そして「どうしたらその発想ができるようになるのか」をさらに追及し、それを教えることができるようになろう、と強く思うようになりました。

 

稲荷塾では演習2のクラスで東大・京大の問題の読み解き方を伝えます、と昨日のブログで書きましたが、それが「どうしたらその発想ができるようになるのか」という内容です。

そしてこれは「演習の第二段階」(仮題)という本にまとめられ、教学社(赤本の出版社)から今春出版予定です。(出版社側の作業が遅れているので、多少遅れそうですが)

 

前々回のブログで、「稲荷塾の反転授業」を見つけたことで、演習授業ももっと効果的に行うことができるのではないかと思うようになったと書きました。

それについては次のブログで書こうと思います。

 

to be continued