稲荷塾の基本姿勢
小説を書くための資料の整理として過去の日記を読み返しており、2002年分まで読みました。
これは結構面白いのです。
その中で発見したのですが、小学生部を始めた動機とか考え方は今のものとは違う面もありました。
2002年に小学生部を作る計画を立てているので、おそらく2003年から小学生部を始めたはずです。
当初は作文を書いてくることが毎回の宿題でした。それを私が添削し、字や表現の間違いを直したり、ストーリーの作り方をアドバイスしたり、同じ言い回しを繰り返さないように、とか、自分が思ったことを書くように、といったようなコメントを書き込んでいました。
まあ、生徒数が少なかったので(始めてから数年は小学生部の全生徒数が1人とか2人)「自分の子どもに教えるんだったらこうするだろう」というようなことをベースにメニューを決めていたように思います。ちなみに2002年、思歩は小学校2年生で、息子は5、6才でした。
カリキュラムのことを考えたりし始めたのはもっと先です。
当時は思歩をテニスプレーヤーにしようと(私が)夢中で、無理やり引っ張っていたようなところがありました。
でも、この年「あれっ、こいつすごく頭がいいぞ」なんてなことに気付き始めています。彼女が4年生のころには、子ども離れした自己管理能力、つまりどんなに疲れていても時間をやりくりして勉強しようとする姿勢に驚き、じゃあ勉強もさせてやるか、という方向に傾き、それで「少しの勉強で中学受験をした子に負けないぐらいの効果を生む方法」を考え始めたのです。
彼女の場合、実際やってみれば算数は一瞬で終わり、そこからさらに算数を深めることに意味を感じなかったので「じゃあ中学数学をやろか」となったのです。
まあ、いろいろ経緯がありました。
要するに初めに計画があったわけではないということです。問題にぶつかるたびにああじゃないか、こうじゃないかと試行錯誤し、もう少し正確に言えば、失敗を繰り返す中で今日の方法にたどり着いたということです。
これは稲荷塾の基本姿勢です。
「なんだ、完成品を売りに出しているんじゃないのか?!」とお叱りを受けそうですが、その時点ではベストと思っているので、いい加減にやっているわけではありません。
だけど、しばらく経ってから振り返ると、お粗末なことをやっていたと反省することもあります。
たとえば反転授業です。これはまさしくお粗末な出発でした。
何をどの程度予習してきてもらうかも、授業では何をするかも手探りで始めたので、失敗だらけでした。基本的な考え方は画期的で、必ず「いい方法が見つかる」と思って発車しましたが、それを見つけるのにかなり苦労しました。
今年堀川から京大に受かった二神君なんかがその試行錯誤に付き合ってくれた初代になりますが、よく文句も言わずについてきてくれたものだとありがたく感じています。
これからも新しい方法を生み出すために、どん欲に挑戦し続けたいと思います。