与えられるものは有限、求めるものは無限

松谷です。

与えられるものは有限、求めるものは無限。

小平選手の言葉でしょうか。誰かの引用なのかもしれません。何か心に響く言葉ですね。

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ある程度までは、与えられているものをこなしていればいけるけど、どこかからは、自ら求めるようにならないと上にいけない。みたいな趣旨ですかね。

 

それに、少し関連してですが、

今、思い出して、僕が大学の勉強に対して、少しだけ後悔していることがあります。

 

それは、大学の特に低学年時の授業をつまらないと感じてしまい、適当にテスト勉強してクリアするだけにしてしまっていたことです。

 

これは、今考えると、そう思ってしまった理由の一端がわかります。

 

それは、稲荷先生の授業がわかりやすすぎて、楽しすぎたということですね。(笑)

 

それに比べて、大学の教授の教え方の下手なところ、熱心じゃないところ、平坦なところが目につきすぎて、ほんとにこのひとたちは、教育する気がないんじゃないかなと思って、怒りと落胆の気持ちが織り混ざって、どうでもいいわと思ってしまったということです。(今では、そう思ったということは、僕が未成熟だったんだとわかりますが。)

 

はっきりいって、大学1、2年くらいの教養でやるような内容って、ある程度しっかり受験をして東大や京大に入った人なら、ちゃんとしたわかりやすめの教科書や、プリント類があれば、誰でも独学できるんですね。(実際は、そんなものは、教授陣は配りませんがね。。わかりにくめの教科書とわかりにくめの補足プリントをもとに、わかりにくめの説明が展開されます。。)

 

ですから、別にテストをクリアするくらいはどうとでもなると思うんですね。

(いったんそういう勉強をしだすと、中途半端な理解のままになってしまい、改めて本質的な理解をしようとなかなか思わなくなってしまうという弊害はある気はしますが。)

 

ただ、ほんとに大事なのは、与えられるばかりから脱却して、1人の学生として、自ら学問に向かっていく気持ちの醸成だと思うんですね。それが、3、4年や大学院の研究に向けて1、2年でやるべきことだと思うんですね。

 

そういう意味では、正直、僕は少し失敗したのかなと思います。

(まあ、もちろん、少しサボり気味であった授業の間に、テニスサークルの活動にいそしみましたので、そのときに培った人間関係能力だったり、人脈だったり、そういったものもまた一生涯の財産であることはまったく否定しませんが。)

 

しかし、今の稲荷塾の授業は、より、大学でも姿勢としてのギャップを感じにくいスタイルの授業になってきたんじゃないかと思います。

 

反転授業しかり、演習1や2の授業しかり、自ら学んで考えてきて、疑問点などをもって授業に臨むというのは、かなり大学で求められるそれに近いのではないでしょうか。まあ、日本全体としても、主体的で対話的な学びをスローガンにしてますから、そちらの方向にシフトしていく予定なのでしょうが、少しそれを先取りしている感じでしょうか。

 

 

 

大学には、もちろん合格して欲しいですが、そこから、大きく羽ばたいて、学問であれ、ビジネスであれ、世界に貢献できる人に育って欲しいと思っています。

 

それが、稲荷塾の願いです。

 

また、生徒に求めるばっかりではなく、自分自身も学び続け、社会に貢献していきたいと思います。それが、教えるということを職業にするものの務めですね。