まず、与えることを考えよ。か。
松谷です。
小学生から始まり学生のうちは、いろいろと与えてもらって、それに対してアクションしていくのが当たり前でした。
会社員の新人くらいでも、先輩からいろいろ教えられて、フォローされて仕事をこなして、あー疲れたぜ、仕事したぜ、という感じでした。
しかし、ある程度、年齢を重ねたり、社会人として年次を重ねたり、今のような極小さい組織の一員になったり、家族をもったりしたら、他者や組織や世の中に何かを与えることを考えないとそれは社会的な組織的なお荷物のままであることを意味します。
何か見返りばかりを期待する関係は大人の関係ではないわけで、まずは、自分が何かを与えるというスタンスに立たないといけないなぁと思ったわけですね。
なんで、こんなことを思ったかというと、自分は会社という組織や東京という場所を離れたのに、たまたま、前の会社の人が仕事を依頼してくれたり、大学のときの友人から何かを相談されたりすることがあるんですね。
まぁ、そんなときに、損得とは別に、やはり人に何かを与えられる人って素敵だなと思うんですね。
別にそれがいつか返ってくるものなのかはわからなくても、いいんじゃないかなと。巡り巡って返ってくる可能性はありますしね。
まぁ、もちろん稲荷塾での仕事に賭けていますので、それを疎かにするつもりなど全くないのですが、すべてが繋がるものなような気がするんですねぇ。
でも、もちろん、稲荷塾にももっともっと貢献せねばとも思うわけですね。自分自身の力ももっともっと上げないといかんと思っていますし、力をつけるスピード自体も早くせねばと思うわけです。(一階微分と二階微分の関係ですね。)
まぁ、でも塾の先生は、何かを与えているんじゃないかという気持ちを生徒と接しているときに感じられるので、ありがたい仕事だなと思います。
別に、長く生きていれば、誰でも知識や経験が増えますから、僕が別に彼らより偉いなんてことは1ミリもないわけですが、それでもこの一瞬を切り取ったときは、与える側が僕っていう構造になりますからね。
なんか暗いトーンの話ですね笑
授業がないので、ネタがないというわけですね笑
※アイキャッチは、与えよさらば与えられん、ていう、聖書っぽい文言の画像なんですけど。。あれっ、求めよさらば与えられん。。とかいう言葉だった気がしたような。。まぁいいか。