あきらめるのも、がんばると決めるのも自分
松谷です。
あきらめるのも、がんばると決めるのも自分。
なにやら突き放したような表現に聞こえますが、そうではないです。
人には誰でも、何やら壁にぶつかるときとかあると思うんですね。
そのときに、あきらめるのも自分ですし、がんばると決めてやるのも自分だと思うんですね。
つまり、すべて自分が鍵を握っています。
ただ、あきらめるのは簡単です。いつでもできます。
例えば、稲荷塾の小テスト、単元テストは難しいから無理だって諦めるのは簡単です。(実際はそんなに難しくないんですが、習っているときはそう思わないということもわかります。)
でも、それをなんとかやりたいって思って試行錯誤していくことにはすごく価値があるのではないでしょうか。もしかしたら、何回か壁に跳ね返されるのかもしれませんが、それでも、やり方を変えながら考え方を変えながら、壁の突破を試みるのが大事なんだと思います。
それが学問をするということなのではないでしょうか。
そうして、もし、突破する道を見つけられたとしたら、本当に自信になると思うんです。それは、身につけられた学問内容自体よりも、一生にわたって役に立つものになるんだと思います。
自分で手綱を簡単に切らないで欲しいなと思います。
手綱を切っていない人にできるサポートはいくらでもありますから。
まぁ、何やら高尚なことを言っているけど、お前はどんなもんやねん、と思われる方もいるかもしれません。
僕もはっきりいって力不足なところだらけです。
なので、これは自分にも言っている言葉です。
例えば、英語の勉強を自分の中で久しぶりに(5年ぶり?)再開してなかなか壁にぶちあたっています。
一応、僕の中では、ディズニーとかじゃない普通の洋画がストレスなく聞けて、喋るときに自分の考えをほとんど淀みがなく伝えられる状態を「英語ができる」と定義をしていますが、本当にほど遠いです。
たぶん、英検1級合格とか、toefl100オーバーしてもそこからはるかに遠いように感じます。(それらなら、問題の印象からすると、今でもとれるかもしれませんし、少なくとも、テスト対策をしたら、割と短期間でとれそうなイメージはあります。実際に受けてないので、無責任ですが。。)
で、その英語ができるようになるという目標は、かなり遠すぎるのであきらめる、ということは、簡単にできると思うんですね。
日本でずーっと暮らしてきた人が海外留学もせずにそんなことできるようになるわけないやん。とか言ってね。
でも、いやいや、できるはず、やってやる!と思って、できるようになる道を探ったり、もしくは、既に誰かが見つけた道を信じて地味に進み続けるという選択をすることもできるわけですね。
(下は前回授業中でまたも完敗した曲ですね。今聞いて見たら少しだけ聞こえるようになっている気もします。そういう少しの積み重ねを信じてやっていきます。カーメリアというベストティーチャーが近くにいるんですから。)
もしかしたら、
いい意味であきらめた方がいいこともあるかもしれません。
それも、世の中の真実かもしれません。
例えば、数3を諦めることで、文系にはなるけど、実は志望校校合格が近づいたし、気づいてなかっな面白い学科も見つかって、トータルとしてよかったとかね。
それを冷静な判断ともいいますね。
でも、あなたが、いま安易に(?)諦めようとしていることが、諦めていいことなのかどうかは、よく考えた方がいいとは思います。
きついけど、諦めてはいけないこともありますからね。
何やら、僕は、ブログだと熱苦しいキャラクターになってしまいますね。。汗
ほんとは結構ゆるキャラみたいな感じなんですがね。。汗