「部活で時間がない」について
松谷です。
授業をやっていると、生徒から、宿題や予習などに関して、言い訳がなされます。
その中で、「部活動で時間がない」という言い訳がなされることがあります。
この言い訳は、昔だったら「そんなことないやろ、時間はどっかにあるに決まってるやろ」と一喝して終わりました。
ただ、昨今の部活動には、「ブラック部活」などと言われているものがあり、ほんとにまったくといっていいほど、学校と部活動を、合わせるとそれ以外に時間がとれないものがあるようです。
僕が個別指導塾時代に経験した生徒さんの例だと、日曜日も含めて毎日、授業終わってから夜の7時か8時くらいまで部活がある(日曜日は朝から晩まで)。そして、夏休みもお盆の三日間くらいを除いて、朝7時くらいから夜8時くらいまであるといった具合でした。
もちろん、学校の宿題もあるわけで、もうそれ以外にはまったく時間がとれないというわけです。
これで、勉強があまり得意でない子や作業が遅い子だと悲惨で、宿題にもかなりの時間がかかってしまうせいで、毎日夜1時くらいまで宿題が終わらないという悲劇が起こってしまいます。
僕自身は、部活動は本当に大事だと思いますし、やって欲しいと思いますが、そこまでになったときには、少し疑問ではあります。
まずは、適切な休息をとらない部活動というのは体にとって害にすらなる可能性がありますし、学生の本分の一つである勉強を確実に阻害するものにもなると思います。
また、僕は生徒の生活は、学校のみで完結するものでもないと思いますし、それ以外の活動を入れる隙がないのは、これは生徒に対する一種のハラスメントだとさえ思います。
それでも、やるというのもありなのですが、それはかなりの覚悟を決めないと厳しいのかなと思います。
覚悟とは次のようなものです。
- 勉強を諦めてその道で生きていく。
- 学校時代はそういうものとして生きて部活が終わったタイミングから一浪二浪して大学に入る。
- 睡眠時間を削ってでも全てをこなす。
- あらゆる方法論を駆使して、超効率的な道を探る。
いずれもなかなか大変ではあります。稲荷塾がかかわれるとしたら、4くらいかなと思います。
超効率的な学習の一つとして、たとえば、小学生とか中学の低学年時までには、中学数学は一通り終わらせたり高校数学に入ったりすることで、学校の勉強はほとんどいらなくなり、もっとも時間がかかるとされている数学の宿題に割く時間を圧倒的に削れるというものです。
まぁそれはそれで、稲荷塾の重要な価値の一つを示しているとは思います。
ただ、僕の本当の思いは、
「本当にそんなに時間がないのか?時間は本当にどこにもないのか?」
もしくは、
「その部活はそれだけ苦労したとしてもそれでもそれくらい時間をかけてやりたいくらい本当に自分の中で優先順位が高いものなんだね?」
といったところです。
後者の「その部活はそれだけ苦労したとしてもそれでもそれくらい時間をかけてやりたいくらい本当に自分の中で優先順位が高いものなんだね?」は、そのままなんですが、もう正直楽しくもなんともないのに、惰性だけでやっているケースもあると思うのです。その場合は辞めるのも一つの選択肢ですし、できるなら、顧問と交渉して一日くらい早退させてもらうのもいいと思います。もちろん、本当に自分にとって優先順位が高いものなら、その時間を割く価値があるんだと思います。ただ、その代償についてはきっちり認識をするべきだと思います。覚悟をもって取り組むべしといったところですね。
前者の「本当にそんなに時間がないのか?時間は本当にどこにもないのか?」については、僕にも当てはまることです。日々忙しい気がしているけれども、本当はもっと上手く時間が使えるところはあるんじゃないかってことです。
たとえば、トイレやお風呂の時間。行きや帰りの電車の時間。早朝の時間、深夜の時間など実は何かあるんじゃないですか?ということです。
もちろん、本当にない人もいますよ。
でも、探してみる価値はあるんではないかもと思うんです。
僕も、妻と娘が京都に来てくれてから、はっきりいって劇的に生活環境がかわり、特に出だしの今は、時間が圧倒的になくなってしまいました。今までは、朝から昼の出勤までは自らやりたい勉強や、深めたい仕事などに投資していたのですが、その時間は完全になくなってしまいました。しかも、今までより、2、3時間早起きした上で、ゼロになりました。
ただ、彼女たちが来てくれたことは、本望であり、そんなことで言い訳をするのもアホらしすぎることだなとも思ってきています。
それで、今どこかに時間はないかなと探しています。
すると、短くてもちょっとは見つかるものです。
しょぼいものですが、帰りの電車の時間10分から15分はぼーっとネットサーフィンをしていたのですが、それはブログを書くのに使えます。
1人の夜の食事の時間や、お風呂の時間は洋書を読むのに使えます。
トイレの時間もうまく使える気がします。
そんな時間でも、一週間積み重ねたらかなりの時間になるんではないでしょうか。
すべての空き時間を、全部埋めてしまうのがいいとは思っていません。
ぼーっとする時間やリラックスする時間も大切だと思うからです。
でも、もう少しうまく使える時間もあるんではないでしょうかね?
まずは、自分からと思ってやってみます。
ちなみに、このように思ったのは、ある小学生の塾生の連絡帳に、保護者さんが書いて共有してくださった、塾生の真摯な考え方に刺激を受けたというのもあります。
大人が言い訳してどうするという感じですね。