英語に燃える(その5)

チェスをどのようにして勉強するかをリサーチしてみました。

まあ、チェス自体を英語で勉強したら一石二鳥ですが、入り口ぐらいは日本語でやった方が効率的です。

それでちょっと調べていたら、羽生と若島さんの対談なんてのがあって、思わず見てしまいました。

若島さんは京大で文学部で英文学の教授をされていますが、もともとは理学部の出身です。学生時代は将棋部で活躍されていて、京都ではかなり強いということで有名でした。私も中3のときに一度だけ対戦しています。

完敗でしたねぇ。

当時すでに若島さんは五段で、私は二、三段程度でしたから。

大学卒業後は高校の数学の先生になられたと聞いていましたが、合わなかったんでしょうねぇ。文学部の大学院に入り直し、その後教授になられたのです。

ちなみに、理学部から文学部への転向はときどきあります。

そもそも数学なんかを追求して行くと哲学と通じるところがあり、欧米では哲学は理学部の専攻の一つになっているのです。

でも、数学から英文学へというのは珍しんじゃないでしょうか。

まあ変わった経歴と言えると思いますが、結局何でもできる方なんだと思います。

教授をされているぐらいですから、専門分野もそういうレベルのはずですし、何と言っても詰将棋作家としては有名過ぎるぐらい有名です。

それに、これは対談の中で出て来た話で、私も今回初めて知ったのですが、チェスのプロブレム(詰将棋のようなもの)作家としても欧米で認知されているそうです。

すごいですね。

いや~ぁ、それにしても懐かしかったですねぇ!

というか、若島さん自身のことではなく、将棋にのめり込んだ中高生のころのことがどんどんと蘇って来ました …。

中学生のとき、京大の将棋部に何度か遊びに行ったことがありました。若島さんにはお会いしませんでしたが、確か西さんという方が部長をされていて、その方には随分かわいがってもらいました。

まあ、汚い部室で、いつ行っても誰かがいるというような状態で、おそらく何人かはそこで寝泊まりしていたと思います。

大学の勉強をしているという雰囲気はまるでなかったですねぇ …。

みんなバランスを崩しまくって、将棋に狂っているという感じでした。

でも、そんな中で若島さんは自分の道を見つけて行かれたんだなぁと …。

実際、大学をドロップアウトした人もいましたから。

ときが過ぎて、私自身が京大の将棋部に在籍するようになったころは、雰囲気が一変していました。

3年ぐらい連続で学生名人を出していたときだったので、相当に強かったですが、やるべきことはやって、息抜きに将棋をしているように見えました。部室に入り浸っているようなやつはいませんでしたから …。

 

話を戻して、チェスをどのようにして勉強するかですが、まあ、大体見通しが立ちました。

 

でも、問題が一つあります。

 

面白いのです。

 

そこそこでやめておこうとは思っていますが、のめり込みそうで、ちょっと怖いです。

 

ん?

 

今日のブログのタイトルは「英語に燃える」じゃなかったっけ?