分かりやすい授業はいい授業か?

世の中一般では、「分かりやすい授業」がいい授業だとされています。

はたしてこれは本当でしょうか?

これに答える前にまず、「分かりやすい授業」とはどんな授業なのかを考えてみたいと思います。

分かりやすい授業とは、説明が丁寧な授業とも言えますが、単に式変形を丁寧にしただけではまどろっこしいだけです。

では、どんな授業が「分かりやすい授業」なのでしょうか?

数学の多くの分野は身近な体験とは切り離されて抽象的なものになったり、一般的でより本質的なものに迫ろうとするので、どこで何に使われるのかが分かりにくくなっていきます。しかし、全体像が見えている先生の授業では、今、学んでいることの意味が分かったり、どこにつながっているのかがイメージできたりするので、「分かりやすい授業」になるかも知れません。

また、経験豊富な先生は生徒がどこでつまずき、どういったことを間違って理解しやすいかを知っています。そういったところを指摘しつつ、正しい理解に導く授業も「分かりやすい」の一つの形態と言えるでしょう。

このように考えてくると、やはり「分かりやすい授業」はいい授業のように見えてきます。

私自身、この「分かりやすい授業」を長年追い続けて来ました。

しかし、複数の生徒を前に授業するとき、クラス全員に分かってほしいと願うあまりに、周辺事項の説明をしたり、過去に学んだ重要事項の確認を入れたりすることになるので、よく分かっている生徒にとっては無駄の多い授業になってしまっているのです。

それから、もう一つ重要なことは、その「分かりやすい授業」が板書も含めて文書化されていて、それを読むのと実際の授業を受けるのと、どちらが効果的かということです。

熱心な先生であればあるほど、実際の授業の方が効果的だと主張します。正直言って、私もこれに同意したかったです。その方が印象に残ると …

ところが、実際には両者で効果の差はありません。

そればかりか、本で学ぶと、不明な点が生じたときに自在に過去に学んだ部分に飛ぶことができるので、より効率よく学ぶことができるのです。

さらに、授業では何か新しいことを説明するために必ず「板書と生徒がそれをノートに写す」という作業が必要になります。そして、この作業の時間が授業時間の約半分を占めているのです。

結局、「分かりやすい授業」は決して効率的ではないということです。

 

To be continued.