狭くても深く

小学校のころは算数も国語も … 全部できることが評価されました。

しかし、この評価基準は次第に変化します。

たとえば、「理科は好きだ」などという表現も「生物は苦手だけど物理は得意だ」のように細分化され、全部できる必要はなくなります。

さらに、世の中に出て役に立つのは、何か特定の優れた部分を持っていることで、何でもできますなんてことは売りにはなりません。

そういう意味で、高校入試と大学入試も随分と違います。高校入試では理科も社会もテストを受けることになりますが、そんな二次試験を課す大学は1校もありません。理科だけを見ても、高校入試では物理、化学、生物、地学の全分野が問われますが、大学入試ではそのうちの2つが問われることになります。

もっと言えば、高校入試では内申書があり、「全部できる」ことが重要になってきます。大学入試にはそんなものはありません。

そういえば、大学入試にも調査書だったかを高校の先生に書いてもらって願書と共に提出しなければならなかったので、素行の悪かった私はひやひやしましたが、それは合否には無関係であることが分かってほっとしたことを覚えています。

価値視されるものは「広く浅く」から「狭くても深く」へと徐々に移行していくのです。

京大の理学部はその典型で、数学と理科ができれば、英語と国語が0点でも受かります。

こんな話をすると、必ず思い浮かべるのはシュンカイです。彼の模試の成績を見たら笑ってしまいます。数学は学校で断トツの1位なのに、英語も国語も、さらに理科まで学年で下から2位とか3位とかだったのです。

でも、これだけ数学ができるやつを京大が落としたとすれば、京大の常識を疑うと私は思っていました …

受かってよかった!