小学校で学ぶべきこと

言語にはいろんな機能があります。

感情や感覚的なことを表現したり、もちろん論理的な内容を伝えたりすることもできます。

日本語は論理表現に向いていないなどと言う人もいますが、そんなことはないと思います。

主語を明記しないことが多かったり、語順を変えても同じ意味になったりするのは、いい加減なのではなく、多様な表現方法を許容しているということだと思います。

論理的に明快に伝えなければならない場面では、そのように表現できるということです。

数学で使われる日本語は、まさにその「論理的に明快に伝えなければならない場面」であるわけで、どうとでもとれるような曖昧さはダメです。

 

毎週毎週火曜日のブログでは似たようなことを主張しています。

月曜日に数ⅠAの授業があるからです。

昨日も切れそうになりました。

「お前は日本語から勉強し直して来い!」などと叫びそうになりながら …

しゃないですかねぇ …

数ⅠAクラスのほとんどの生徒は中2生ですから …

やっぱり、中2って幼いのでしょうか?

 

いや、もっと論理的な文章を書く訓練をすべきだと思います。小学校では論理的に話す訓練もすべきです。

正しいとされていることを覚えているかどうかが問われるような試験では意味がありません。そんなのはスマホで検索すれば誰でも答えることができますから。

自分で考え、考えたことをどう伝えるかという部分を訓練すべきです。

 

すごく危機感を感じます。

だって、稲荷塾に来ているのは、洛南や洛星の生徒だったり、公立の場合は間違いなく学校でトップの生徒だからです。

そういう生徒の使う日本語のレベルがこんなに低いとしたら、他は一体どんな状況なのかと心配になります。

算数において「答えが合っていれば丸」ではなく、何らかの記述を問うようにしてほしいものです。

中学受験も改善が必要だと思います。