すごくできる奴がいると中間層も底上げされる

松谷です。

この前の高校の同級生とのzoom飲みのときに、やっぱり高校のときの昔話で盛り上がったんですね。

昔の友達と会ったらそりゃーそうなりますよね。

で、

「僕がカンニングを先生に疑われて、筆箱の中を全部ひっくり返して探されて、結局無実だったのに先生が謝らなくてキレた話」とか、

「修学旅行のフェリーで怒られて、先生に非常扉の中に閉じ込められた話」とか、

「教室に入るなり45分間黒板に解答を書き続けて、時間が余ったら窓の外を見ていて一言も発言しない数学の先生が、実は、6クラスのうちの2クラスではまともに授業をしていたという話」とか、

いろんな昔話がありましたね。

昔の洛星の生徒ってどんなだっけっていう話にもなりましたね。

だいたいヤンチャしていたやつ(退学とか)が鮮烈に記憶に残っているのでそんな話をしていましたが、

今、僕が塾をやっていることもあり、勉強面の話にもなりました。

当時、洛星は恐ろしく放任主義で正直何も勉強に構っていなかったと思いますが、それぞれ塾に行くなりなんなりして勝手に勉強するというスタイルだったんですね。(それがいいかどうかでいうとクエスチョンですが)

 

で、数人勉強がすごくできる生徒がいたんですね。全国トップ10くらいの生徒が3,4人くらいいましたのでね。

 

そういう生徒がいると我々第2集団みたいな層も引っ張られたよな~。みたいな。

 

ということで、恐ろしくできる生徒がいることって、どうしても届かない存在に絶望するというわけではなくて、どっちかという良い影響を与えてもらえるんだな~と。

実際、彼らと比べると相対的にみるとどうやっても成績良くないということになってしまうんですが、それをなんとなく意識してやっていると、合格ラインというのはいつのまにかクリアしているのかもしれません。

 

稲荷塾も、クラスにこいつはできるなっていう奴がいると、なんだか、あいつに負けない!とか勝ちたい!とかちょっとでも追いつきたい!とかそういう感情が働くのかもしれませんね。

 

そういうのは案外、僕らくらいの平凡な人ほどうまく作用するような気もしますね。

まあ実際高校までの勉強ってやることがある程度決まっているので、競争原理を働かせる必要はないのかもしれませんが、やっぱりモチベーションのupとか当たり前の基準値が変わるというのは大きいのかもしれませんね。

 

まあ、なんかいろいろ書きましたが、

 

昔話で昔の高校は良かったよなというクソみたいな結論にしたいわけではありません。今、塾では、母校の生徒も含め、京都や大阪の進学校の生徒に多く来てもらっていますから。そういった高校の実績に、少しでも稲荷塾として貢献したいなと思います。