新しいステージを妄想する
松谷です。
最後まで伸び続けた受験生のひとりは、京大生になれるのをワクワクしていたので受験生になってから勉強ばかりしていてもそれがストレスにならなかった。
だそうです。
というのを聞いて、
自分の20年前の大学受験のときを思い出しました。
勉強は割と楽しかった記憶がありますが、僕の場合それでも苦にならなかったわけではないと思います。
そんなときに、僕も妄想していたんですね。
僕の場合、彼女ほど健全な妄想だったわけではなく、何を妄想してたかっていうと、
それは、
渋谷のスクランブル交差点を颯爽と歩く自分をですね。
当時はたまにみるニュースや天気予報などで、日本の主要ポイントという意味で渋谷のスクランブル交差点が頻繁にテレビに映し出されていました。
そこを歩いている自分を妄想したわけですね。
いやあ、なんていうんですかね、東京という街でカッコいい大学生である自分を妄想したんですね。
しかも、東京に行けば彼女が出来るんじゃないか?
とかも妄想していました笑
そりゃー、勉強を推進する大きな原動力になりましたね。
僕は〜を学びたい!などといった目的を明確にしたような高尚な理由で大学受験に臨めたタイプではなかったんですね。
社会が苦手だし興味がわいてこないなあ。。理科の方が簡単かなあ。でも、何学部かはっきりしないな。。なんとなく実学に近い工学が自分の性にあってそうだけど、どうなんだろ。東大なら理系という括りで入ってそこから選べるらしい。東京で一人暮らしも楽しそう。えいっ。みたいな。
今の時代ならそんなのはダメですけどね。ただ、古い価値観の人たちは先生も生徒も、そんなもんだよね、それでokだよ。としていました。キャリア教育もまだ盛んではなかったような気がします。(ダメと言いながらでもどうしても興味の部分が見つからなかったらそれはそれで仕方ないですけどね。それも個性ですから。学びたくなったら大人でも学び直したりするもんですから。)
でも、そういう曖昧な志望理由だと頑張るモチベーションが湧きにくいときってあるもんですね。
それで、妄想力に頼っていたわけですね。
ちなみに、妄想は現実になりました。(カッコよくはなかったですが。。。)
そして、妄想が現実になったとき、人ってどう感じるかっていうと、すごく普通のことだなと思い始めるんですね。
そうするとまた、次の目標なり悩みなりを見つけて進んでいくわけですね。