「準備」か「能力」か?

大阪に茨木高校という優秀な生徒が集まる学校がありますが、そこでは高1で数ⅠAを学び、高2で数ⅡB、高3で数Ⅲを学ぶという数学の進度の遅さのせいで、演習量が不足し、その結果、実力を発揮することができない生徒がたくさんいます。この影響は理科にもおよび、本来、高3になってからは理科を中心に受験勉強をすべきですが、新しく学ぶ数Ⅲに時間がとられ、そうすることができないのです。

たとえば京大の工学部であれば合格最低点が約5割の得点ですが、浪人して受験する生徒は基本的に理科で7割の得点をします。つまり、理科だけで合格最低点に50点勝つことになるので、現役のときにぎりぎりでダメだった生徒は浪人すればほぼ間違いなく合格します。現役で合格するためにはこの状況、すなわち数学を早めに形にして高3になってからは理科を中心に勉強するようにすればよいのです。

ところが、数学の遅れのゆえにそのようにできない生徒をたくさん見てきたので、これまで数学をうまく準備していくかということの重要さを強調し続けてきました。

たとえば2010年に出した「小さな数学塾のヒミツ」では「京大レベルの能力とか神戸大学レベルの能力というものがあるのではなく、どのように準備したのかという違いが京大になったり神戸大学になったりしている」と書いています。

これはある面正しいです。

中高一貫校のように中3から高校数学に入り、高2が終わると同時に高校過程を終了し、高3の1年間を演習に充てることができれば、高3になってから数Ⅲをやるよりはるかに有利です。

ましてや稲荷塾のように高1が終わると同時に高校過程を終了するようにすれば、2年間、演習をすることができ、その子が持っている力を十分に発揮することができるようになります。

 

しかし、仮に稲荷塾のように早めの準備をして2年間の演習期間を確保したとしても、やっぱり京大に届かない生徒がいるのも事実です。

こういう生徒を見るとき、物事を本質的に理解する能力が不足していると感じることがあります。

つまり、そういう生徒の傾向として、やり方が分かればよしとして、なぜそうするのかを追求する姿勢が弱いのです。その結果、理解は深まらず、応用が利きません。たとえば1つの技術を身に着け、それにより10のパターンの問題が解けるようになったはずのところが、そのうちの1つしか解けない、あるいはそれすら時間の経過とともに忘れていくという生徒がいます。だから頑張っているようでいて、人より時間がかかり、いくら早く準備をしても間に合わないのです。

もちろん、この逆もあります。

すごく準備が遅れているのに、いろんなことをすーすーと飲み込んで行って、最終的に間に合わせてしまう …

 

結局、「準備の仕方」も重要ですが「能力」も重要です。

 

でも、「能力」って何でしょうねぇ?

もしそれが物事に対する姿勢のことでもあるならば、長年の努力により開拓することが可能かも知れません。

そしてそれを信じたいです。

 

前回まで小学生部についての考え方を連載してきましたが、子どもの学年が若ければ若いほど、親は目に見える子どものテストの成績ではなく、子どもの心の動きに関心をもって、子どもが目を輝かせながら何かに取り組めるように助けてあげてほしいと願ってやみません。