子どもらしさと小学生教育
松谷です。
小学生、中1くらいまでは、子どもらしくあって欲しいなと思います。
子どもらしくというのはまずは目が輝いているということでしょうか。
目の輝きを奪ってはいけないなと。
目が輝いていて前向きな子には周りのみんなが応援したくなりますのでね。
社会を生きていくうえで、応援されるっていうのは大切なことだと思うんですね。
でも、それって難しいことではないんだとは思うんですね。なぜなら、大人は基本的に子どもを応援したいもんなんだと思うからです。
しかし、やたら偉そうな子だったり、大人をなめてたり、こちらの最低限の言うことも聞けなかったり、既に目が死んでたりみたいな子ってどうしてもいます。どうしても応援しにくいし、その結果、伸ばしにくいなあと。
もちろん、自分にも3歳になったばっかりの娘がいますし、イヤイヤ期でもあるので、子どもがなかなか言うこと聞いてくれないこともよく理解できます。
ただ、小3とか小4とか小5とか小6とかでそんな状態の場合は、なかなか気持ちよく勉強を教えたりコミュニケーションをとったりするパートナーにはなりにくいなあと。
しつけとか学校教育とかそういう問題なのかもしれませんね。
でもなかなか難しいですよね。どうしても一定数います。私立でも公立でもどんな学校でもね。
生意気だったり曲がっていたりするのがある意味かわいいとも言えるとは思います。そして、そんな子の性格ごと変えていける可能性があるのが小学校教育の醍醐味であるとも言えます。
小学校教員はA Iによる自動化が極めてされにくい職業だそうですが、それはコミュニケーションと心のやりとりによって成り立っているからでしょうね。
しかし、僕とかに関していうと、やはり小学生教育の専門家ではないので、なかなかそれを突き詰めるというところまで行きません。(本当の小学生教育の専門家はそこをうまくやっているんだと思います。おそらく。)
でも、そういう厄介?な子はどこにいても一定数いるのならば、小学生を扱うのはどうしても難しいのかもしれませんね。
もし、稲荷塾第2教室を開けたとしたら、小学生を対象にするかはよく考えないとだめなのかもしれないなと。(学年を含め)
知り合いに少し期待してもらったりしていますが、実際に小学生を預かれるかはかなり慎重な判断を要しますね。
個人的には小学生教えたいな!という欲はあるのですがね。。。
一部のしつけの行き届いた算数に適性のある小学生だけを対象とするんだったら、それはこちらは楽しいでしょうし、その子たちは伸びるんでしょうが、なんかイビツな感じもしますしね。。。。
もちろん小さい塾なら生徒数を1人でも多く確保した方が利益が出るんでしょうが、そういうのと切り離して考えることのような気もします。
うーん。なんか思ったことをつらつらと書いてしまいましたね。まあいいか。
考えは変わるかもしれませんけどね。