「勉強しなさい」に潜むエゴ

松谷です。

カーメリアが勉強しなさいと親が言うことの是非みたいなことについて書いてましたね。

ちなみに、僕は、親に、勉強しなさいと言われた記憶はほぼありません。

たまに言われたときには、萎えてしまって、逆にやりませんでした。

で、よく言われるように、ほとんどの東大生は勉強しなさいと言われてないそうです。

いや、多分実際には言われているのかもしれませんが、意識に残るような言われ方で言われていないんだと思います。

親がうまいのか、子どもやがそういう性質をもっているだけなのか。鶏と卵ですね。

こんな記事もあったりしました。勉強しなさいが不要な家の家庭習慣

 

そんな環境で育っているにかかわらず、僕は、昨日、あんまりやる気の見えない生徒に塾の授業時間中に、勉強をやるように、すなわち、問題を解くように、促しました。カーメリアの記憶にある先生そのものですね。(親が勉強しなさいとは言ったのは覚えていないが、先生が言ったのは覚えているようです。)そして、その結果は、のれんに腕押し、ぬかに釘って感じでした。

 

そんなペースで、そんな態度でやってたら身につくもんも身に付かんし、チューターの先生にも失礼だし、規定のペースで終わらないから今年限りになってしまうしという感じのことを意識して叱咤していました。

 

つまり100%その生徒のために言っていたつもりでした。

 

しかし、本当にそうだったのでしょうか。

 

今になって疑問が湧いてきました。

 

本当は、ただやる気のない奴が嫌いだからその個人的な感情をぶつけていただけではないのか、本当は、中学数学1年間で終わらないと塾を辞めてもらうことになるからそれを惜しんでそうならないようにしようとしてただけではないか、本当は、やる気なさをふりまかれたときに周りに悪影響がでることを防ぎたかっただけではないか、本当は、きちんと取り組まないと成績不良になり成果不満につながることを恐れただけではないのか。

 

すなわち、生徒のためではなく、完全にこちら側のエゴで、叱咤していたのではないかという疑問が湧いてきたわけです。

 

実際、やる気がない子をやる気にさせるのは極めて難しいです。本当にできるものなのかが不明なくらいです。

 

多少叱咤したところでほぼ変わらないのが現実です。

 

それどころか、僕は人生で、自分きっかけで、人にやる気を出させたことがないかもしれません。個別指導塾の塾長をしてましたから1000件以上は面談してますので、もちろんやる気を出させるのは仕事でした。でも、僕が出来たのは結局、内在的にやる気を出したがってるけど、うまく発現させることができてない子に、やる気を出す場や、具体的に発揮させる方法論や、やればできるという自信や、適度な目標設定や、健全な危機感を提供していただけな気がします。つまり、やる気がない子に火を付けたわけではないということです。

 

やる気を出すかどうかということについては、最後は結局バトンを本人が握っている気がするんですね。

 

少なくとも僕は他人によって直接やる気を出させてもらったことがないですしね。(間接的にはあるでしょうけど。)

 

 

まあ、そうなると、私塾ですからやる気ない状態なら行く必要がないというのも真実なんですがね。。。