完全なる満足は訪れない

松谷です。

どんなに望んだ環境や、称号が手に入ったとしても、完全な満足は訪れないのだと思います。

 

達成した途端に、それが、普通になってしまい、そこでの新たな悩みが発生するからです。

 

ちょっと哲学的ですが。。

 

たとえば、東大京大に受かりました。医学部に入りました。

 

それは、一時的には、何かすごい幸福感をもたらしてくれるかもしれませんが、そんなものは、すぐに去ります。

 

たぶん、1、2ヶ月もしたらまた新しい悩みが出てきます。

 

でも、それはその達成したものが無くなってしまうわけではないと思います。

 

積み重ねたものは嘘ではないからです。

 

その過程で蓄積した知識や技能なのか、その過程で身につけた戦略的思考なのか、その過程で腑に落ちた努力の大切さへの意識なのか、その過程から手に入った自分はやるときはやれるぞという自信なのかはわかりませんが、確かに何かは残るからです。

 

僕自身、東大に受かったとか、toeic990や英検1級とったとか、初めて東大入試数学全問解けたとか、 簡単な海外ドラマ字幕なしで見れたとか、初めて教材を自分主導で作りきったとか、そういうときに何か一瞬達成感を感じたのですが、本当にすぐに別の悩みが発生したり、そこで自分の実力不足がさらに見えたりして、落ち込んだりがっかりしたりしてきました。

 

ただ、それらに意味がなかったとは思っていませんし、自分の礎になっている気はします。

 

でも、結局ずーっと悩みばっかり次から次に出てくるのなら人生は苦しいばっかりになってしまうんじゃないかという疑問には、

 

ひとつは、人間は悩むものだよ、そんなもんなんだよ、という回答が用意されています。

 

あと、もうひとつの解決法は、その何かを目指す過程自体を少しでも楽しめるならば、その先に何が起ころうと苦しいばっかりではなかった、と言えるんじゃないかと思います。

 

過程の全部が全部楽しいなんてことは無理かもしれませんが、きっと楽しめる部分はあると思います。

 

そういう意味では、数学は問題を解けることや解答を理解すること、さらには問題を考えることそのものにまで、小さい快感が勉強中に何度も訪れる稀有な科目です。

 

それに楽しみを感じながら積み重ねていって欲しいなと思いますし、僕自身、授業時間や稲荷塾の空間を、知的な楽しみが感じられる時間や場所にし続けられるように努めていきたいなと思います。

 

ちなみにA会話は授業自体が楽しいものですね。つまり、英語は科目ではなくあくまでコミュニケーションの道具であって、コミュニケーションは普通楽しいものでありますから、授業も楽しさの中で自然に上達ができるようになっているのかもしれません。家では課題は多少大変かもしれませんが。。

 

ちょっと固い話でした。柄ではないですが。。

明日の説明会よろしくお願いします。