わかった?では生徒の理解は測れない
松谷です。
妻と娘が京都にきて、新生活の開始に伴いなかなかてんてこまいな毎日を送っています。
そんななかゴールデンウィークが終わって授業も始まっていきますので、それはそれで集中していきたいと思います。
さて、授業をするなかで、生徒に「どう?ここまでわかった?」
と聞くことがあります。
それだと、答えにくい場合もあると思うので、僕の場合、
「1ミリでも分かっていない部分がある人いる?」
などと念押しする形で聞きます。
しかし、これで、手が上がらないことが結構あります。
おっ、全員完全理解に達したのか?と思って、テストをしてみます。
そうすると悲惨な点数を獲得する場合が多々あります。(本当に多々。)
これには、2通りの解釈の仕方があると思います。
ひとつは、わかったんだけれど、テストではできないというパターンです。これは、よく言う「わかる」と「できる」の違いというやつで、ここもかなり大きな差があるわけなので、演習などを通してわかった知識を自分で適用していく練習をして、さらに深い理解を獲得していき、「できる」にしていかなければなりません。
ふたつめは、「わかった?」という質問ではわかってないものが手を上げることが難しい場合があるということです。わかっていないものは、どこがわかっていないかもいまひとつわからないという場合があり、その場合は、手を挙げたとしても、「う~む、何が何やらわかりません。」という怪しい答弁をすることになり、恥ずかしいのかもしれません。もちろん、こちらとしては、そんな質問でも嬉々として答える準備はありますが、現実問題そういうときはなかなか手をあげてくれません。
もちろん、できるだけ顔色で察することで、「えっ、〇〇くんわかってへんのちゃうの?」っていう追及はできるのですが、高校数学の授業など個別指導ではない場合、毎回毎回というわけにはいかなかったりします。
いずれにせよ、「わかった?」という質問で生徒の理解の確認を終わらせるということは難しいということですね。
そこで、自分で説明させるというパターンや、テストや演習という機能が活躍することになります。
そういえば、今日の数1Aは2次関数のテストですね。
1週間復習したと思うので、その力を発揮してほしいと思います。
あっ、今一つ変な解決策を思いつきましたね。
わからない人に手を挙げさせるのは、少し心理的ハードルが上がるわけですが、わかる人に手を挙げさせれば、手を挙げるハードルが少し下がるので、わからない人をあぶりだしやすそうですね。(まぁ毎回手を全員上げさせるようにするのが時間的にも大変そうっていうのと、とりあえず手を挙げとけっていう人が出てくる可能性があるっていうのはありますが。)
まぁ、でも、これからの世の中、わからないことはわからないと、自分からはっきり言えるべきだなと思いますね。