記憶力はもういらないか?それとも?

松谷です。

あまりいいネタがないので,ふと思ったことを。

現代の社会では、インターネットが猛烈に発達しております。

 

そして、インターネットの性質の一つとして、膨大な知がそこに集積されるという性質があります。

そのスピードたるや、1日で、人が一生をかけて得る知識をはるかに上回る量の知識を蓄積するそうです。(もっとだったかな。忘れました。)

 

さて、そんなインターネットがあるのだから、現代社会、もしくは近未来社会では、知識を記憶しておくことは意味をもたなくなり、縦横無尽に検索していく力こそが大事であるという、論調の意見が散見されます。

 

上の意見はある一定の真実性は帯びていると思います。

 

ただ、知識のないものが、真に欲しい情報にたどり着けるのでしょうか?

 

インターネットには情報が氾濫しています。なので、正しいもの見極める力が必要になってきます。それは、ある一定の知識バックボーンが必要ではないでしょうか。ベースとなる知識さえも、検索をすればよいとすることもできますが、ウィキペディアで拾った知識をもとにいろいろ思考をしていくときに、やはり何か不安を抱えながらの思考になりませんか?

つまり、僕は、やはりある一定の知識を頭に蓄えておく必要があると考えています。例えば、仕事で、何かを話すときにも、それに関する内容をほとんど覚えておらず、毎回調べているような人を信用できますでしょうか?僕は無理です。

 

また、新しい何かを発明していくときには、脳のなかの既存の神経回路が新たにつながることで、閃きがもたらされるケースがあると思いますが、既存の神経回路というのは、記憶しているものたちで作られている部分が多いのではないかなという気がします。それが結びついて、何かが生まれるのではないでしょうか。(まぁこれはあくまで想像ですが。)

 

 

以上のようなことから、ある一定の知識は、どの時代の人も頭に入れておくべきだと考えます。

 

さて、知識を蓄えるには、記憶力が一定程度、必要になると思います。

 

記憶には、短期記憶や長期記憶に加え、ワーキングメモリといわれる作業記憶などもありますね。

 

どれもいろんな意味で重要ですが、受験などで、必要とされてきたのは、長期記憶にいかに物事を収めるかということだと思います。(計算のときとかは、作業記憶が必要ですが。)

 

長期記憶におさめる能力については、もちろん個人差がおおいにあると思います。

 

しかし、受験に必要な程度の記憶力は、方法論を確立すれば、誰でも身につくものではないでしょうか。

 

運転免許をみなさんとってるんですからね。

 

あれも普通に教科書1冊の試験ですからね。9割とらないと不合格ですし。

 

ちなみに、僕は、自分なりの暗記法は、完全に確立しています。なので、何かを覚えろと言われれば、どんな量のものであれ、ある一定の時間をかければ、必ず覚えられます。

 

まぁ、また、それもいつか記事にしたいと思います。

英単語暗記なんかで苦労している人もいるようですので。

 

なんかあんまりまとまってないですが、まぁこんなところで!