書かない人は身につきにくい
松谷です。
全然できるようにならない子に、予習の取り組み内容に迫ったら、「独習数学を見て、テキストを見て、少しそれに関連するyoutubeの解説を見ました。」
と言っていました。
「だから、全然できるようにならないんだよ。」
と伝えました。
すごく不満顔をしていましたね。
書かないでできるようになると思っているんだと思います。
ある程度できるようになった人とかが、見て解法を思い浮かべて解けるか確認するという使い方はできると思います。頭の中で解くということですね。
もしくは、最初にざーっと何周も見て既視感を植え付けてから、ある程度自分にとってfamiliarな状態になったなと思ってから書くとかいう勉強法があることも知っています。(最終的に書くんですけどね。)
ただ、初学段階で全然身についていない人がそんな勉強法をするっていうのは自殺行為です。(しかも最終的に書かないという。。)
しかも、数1Aの計算などが主体の分野で見てできたことにするなんてのは全然あかんのですね。本当に。
まあ、これではあかんと本人が気付くのが普通なんですけどね。
でも、気付かない理由がわかりました。
よく見たら、机に
僕らはなぜ学ぶのか?
という漫画みたいなのを置いてましたね。。。
学びそのものに疑問を覚えてるんでしょうね。
カーメリアあたりに言わせれば、勉強というのは当たり前にするもので、結局がそれが生活のためにするものだというような認識なんだと思います。
それを、そんな疑問を覚えられるというのが平和ボケした日本を象徴しているわよ!みたいな感じかもしれません。
生活みたいに差し迫ったものでない場合でも、いろいろ新しいことが知れるできるようになると楽しい、とかそんなんでいいと思うのですが、うまくできない場合はなおさら自分にとって正当な理由が欲しくなるのかもしれませんね。
結構向き合って話しましたが、伝わるかはわかりません。
やはりやる気がない人をやる気にするというのは非常に難しいなあ。