中高生時代の松谷の数学

松谷です。

 

アイキャッチ画像は、高校生のとき憧れてた、彼女との自転車2ケツシーンです。

 

儚い夢でした。。

 

さて、今日は中学、高校生のときの自分の数学について、少し振り返りたいと思います。多少恥ずかしいところもありますが、正直に。

 

中2から高1くらいの僕自身は、世の中一般的に言うと数学が得意な生徒だったとは思うのですが、自分の心情的には、まったく得意でなく、伸び悩みまくっていました。

 

特に、自分の英語の成績に対して、数学は全然良いとは言えませんでした。全国模試の偏差値でいうと60から70をうろついてるみたいな感じでした。

 

さらに、当時、京都で有名だったM◯Tという塾に行ってたのですが、ほんとに普通以下くらいの成績でした。下から三分の一くらいだったかもしれません。その塾の同じ学年には東大理三や京大医学部に現役合格する人もたくさん(10人以上いたと思います)いて、自分の不出来さに諦めも入っていました。

 

当時のM◯Tでは、普通の勉強は各自に任せて、実際の授業では、数学的な雑談と、普通のレベルを超越している高度な授業を行うという感じでした。

 

あまり、勉強する習慣ができてない自分だったので、なおさら、そのスタイルだと、なんで先取り授業なのに基本すらやってくれないのかなと思いつつ、ずっともやもやしていました。高度な授業も理解できないところが多くて、わかったとしてもわかった気になっているだけでした。。

 

特に、その塾では、当時、問題も解答もまったく洗練されてなかったハードカバーの青チャートを使った予習復習が全て生徒に任されていたので、明らかに無理があった気がします。

(今の青チャートは、「稲荷の独習数学」ほどではないですが、それでも当時と比べると10倍くらいは質が上がりました。当時のあの青チャートで理解してガンガンすすんで行った人は中学からかなり勉強していたのだろうなと推察します。多分、勉強は基本自分でやるもの、塾では刺激とテストと問題さえもらえればokというスタンスの洗練された生徒にはその塾のスタイルが合っていたのかもしれません。)

 

 

そして、そんなもやもやを払拭したくて、中3の終わりか高1の始めくらい?に稲荷塾の門を叩いたわけです。

 

そして、授業を受けて、あっ、もしかして、求めていたのはこれかもしれないなと直感的に思いました。

 

基本から始まり、かなり高度なところまでいくけれども、生徒がつまずきそうなところを読み切った本物の解説をしてもらえるので全然理解のハードルが高くなく、自然と質の高い演習につながっていきました。

 

授業もギャグを交えてリラックスした中で、よく当てられたりもするので、適度な緊張感もあり、楽しかったですし、当時は、予習も高2までなく、復習のみ推奨されてる感じでしたので、負荷もすごく低かったと思います。

 

しかし、正直に言いまして、僕は、復習もかなりさぼりがちだったと思います。

 

そのようなかなり良くない状態の自分でしたが、毎回の授業の最初に前回の復習とかをしてくれて、テストもいい感じのタイミングであったので、少しずつ頭に積み重なっていった気がします。

 

さらに、稲荷塾のテキストの薄さを見てもわかるように、本当の洗練されたポイントだけが、理由を重視して講義されていたので、かなり頭に残りやすかったような気がします。

 

とはいえ、やはり、稲荷塾はスタートしたばっかりのときで、正直に言うと怪しい感じの弱小の塾だったかもしれません。

 

そして、皆と違う選択肢をとるということに対して大いに不安がつきまとったのも、確かでした。

 

しかし、それは払拭されました。

 

高2くらいの模試からすごく良い結果が出始めたからです。

 

確か2つくらいの模試で、いつも足を引っ張っていた数学が8,9割くらいとれて、英語数学国語の全教科の学校順位が5番くらいになったことがあり、あーこれで大学入試はよっぽどのことがない限り大丈夫そうだと、すごく安心したのを覚えています。

(当時、学校には、文系の全国1位と理系の全国1位もいたうえに、それとは別に京大医学部に5人くらい合格し、東大余裕上位合格も5〜10人くらいいるような状況でしたので、自分の中ではかなり快挙でした。)

 

もちろん、これは、高2もしくは高3頭の時点の成績なので、稲荷先生が言うように、少しまやかしの数字だったかもしれません。

 

しかし、自分にとっては、すごく自信になりましたし、なんとなく京大工学部なのかなぁって思ってた自分が、自然と志望校を東大に変更することになりました。

 

この後、高3では、数学の勉強は塾の授業以外ではほとんどせず、それもあってなのか、数学については最初東大模試の壁にぶち当たりました。しかし、慣れてきた秋の模試では、6問中4問完答することもできて、本番は、自己採点したところ70点弱?くらいで、合格者の平均は数学も合計点も十分に超えていそうだったので、まずまずだったのではないでしょうか。

 

もちろん、当時のこの成績は、東大理3とか京大医学部とかに数学9割とか満点とかで受かる人に比べたら、全然大したことなかったと思います。

 

ただ、能力的には、中の上くらいの生徒だったんじゃないかなという自分が、追い詰めた努力を特にすることなくこれくらいになったのは紛れもない事実です。

 

そして、今は稲荷塾の授業もさらに洗練されています。

 

「稲荷の独習数学」が出たことや、反転授業を開始したこと、テキストの改訂、土曜の質問制度などもあり、明らかに質が上がっているのではないでしょうか。

 

なので、多少冴えている塾生がやる気をもってそれらを最大限に利用できたら、昨今、緩やかになっている東大京大入試なら満点近い高得点もとれるのではないかなと思います。

 

また、当時の僕のように、上位に今一歩足りない生徒が、殻を破ることもよりできやすくなっているのではないでしょうか。

 

僕も塾生を最大限サポートできるように指導力を上げたいと思います。

 

そして、少人数であることを生かして、一人一人の生徒の伸び悩みとかにピンポイントの解決策をもたらしてあげられるようになりたいと思います。

 

その際には、前職の教材作成のときの知見、個別指導塾勤務のときの経験、稲荷塾の生徒のときの経験などもフルに生かしながらやっていきたいと思います。

 

稲荷先生と一緒に相談しながら、稲荷塾をさらに洗練されたものにしていきたいなと思います。