動機に入る
子どものためにと思って何らかのアドバイスをしたところ子どもはそれを受け入れなかったとき、もし怒りを感じたとすれば、本当に「子どものために」だったのかが怪しいと感じるべきです。
あからさまに自己中心の動機には、それはよくないと誰でも気付きます。
しかし、相手のためにと考えているときには、それがどの程度本当に相手のためなのかが分からなくなっていることが多いのです。
恋愛でも同じです。
相手が喜ぶようにと考えているときに、危うさがあるのです。
特に男は目に弱点があります。
と、自分自身を見つめるときに思います。かわいい子に弱いのです。たとえばバトミントンの松友美佐紀ちゃんを見れば、うわぁ、かわいいなぁと思い YouTube でしばらく追っかけたり、卓球の平野美宇ちゃんを見てもそんな感じです。
おそらく女も、男が目に弱点があることに気付いています。だからきれいに見せようとします。
でも、それが愛でしょうか?
一度、自分の動機を深くチェックしてみる必要があります。
京大のテニスサークルを覗いてみれば、女の子は京大生じゃないことの方が多いです。
新歓の時期になると、京大のテニスサークルはわざわざ女子大まで出向いて勧誘をします。
これじゃ、テニスサークルじゃなくて、軟派サークルじゃないか!
私は嫌いです。
まあ、完璧な人なんていませんから、初めの段階で不純さがあってもいいと思います。でも、それが深められていかないと、まずいと思います。
そういうことをいい加減にして進んで行くと、結婚して、いざ子どもを育てていくときにぶつかるのです。教育方針が合わないのです。
夫婦が合わなければ、親子も合いません。子どもの気持ち、動機が分からなければ、うまく対応できるはずがありません。
こんなふうに考えるとき、私は子どもたちにすまない気持ちになります。親の不足さのゆえに、負の遺産を残してしまったなぁと感じるのです。
でも、子どもたちの代では新しい文化を築いて行ってほしいです。それを切に祈ります。