「生徒主導型授業」はすぐにやめるべきだ
生徒主導型授業というものがあります。
一定レベルを越え、主体的で、学ぶことに意欲を持っている生徒が集まって、意見を出し合って何かを探求していくのは刺激的かも知れません。
でも、その一定レベルに到達している生徒って、どのぐらいの割合で存在しているのでしょうか?
そもそも、最低限の知識がない状態でそれを実行しても何も生まれないだろうと考えられます。たとえば、二次方程式の解き方を知らない生徒が集まって、議論する中で解の公式にたどりつくなんてなことがあるでしょうか? そんなことは想像できません。いたずらに時間を浪費するだけです。
結局、その結論を知っている生徒がリードして意見をまとめた形にするだけになります。もし、その知っている生徒がいなければ、単にダラダラと時間を過ごし、何の得るところもなく授業時間が終わるのです。
こういう学校現場でのうんざりするような話をよく耳にします。
なぜ、ダメに決まっているやり方を、実験した経緯もなく実施するのでしょうか?
全くの謎です。
稲荷塾では、数学の授業に無駄が多いことに気付いてから、何年もかけてさまざまな実験をしました。
「板書とそれを生徒がノートに写すという作業の時間が授業時間の半分を占める」という無駄に気付いてから、授業効率を2倍にすることができると確信したのです。ところが、実際にこれをシステム化しようと思えば、多くの困難に直面し、そう簡単ではなかったのです。
そのうちに、「新しいことを学ぶより、それを定着させることの方が難しい」という事実に気付き、急に道が拓けました。
反転授業のシステムを作るのに何年もかかったのです。
授業に無駄が多い、誰が見ても明らかな事実から出発したとしても、ちゃんと機能するシステムを作り上げるのは容易なことではないのです。
なのに、「生徒主導型の方がいいのではないか」という憶測から始まって、何の実績もない方法を全国の学校で実施するなんて、狂気の沙汰です。
どうしてこんなアホなことを続けるのでしょうか?!