独り言

人が行動の選択をするときの判断基準として「快不快」「損得」「善悪」の3つを用います。

「快不快」を主に用いる人を評するとき、「あいつは子供だ」などと言って低く見ます。

「損得」を前面に押し出す人を見ると、「あの人は計算高い」とか「あの人の価値観は薄っぺらい」などと言って揶揄します。

ですから、人はできる限り「善悪」を基準に判断しようとし、そうできないで「損得」を基準に動くときも、人にそれを悟られないようにしようとします。

そういう中でもぶれが小さく、多少の損をしてでも善に生きようとしている人がいると、そういう人は多くの人から信頼され、尊敬を集めるのです。

 

実は最近、善に生きようとするとすごく損をするという体験をしました。

苦しみつつ善の選択をしたのですが、もし私がそのことを黙っていたら、私は立派な人です。

でも、こうして書いている段階で既にそうではありません。

心は乱れ、頑張っていることを人に理解してほしいと思いました。そういう自分を見て、何と小さな人間かと嘆きました …

 

まあ、頑張っていきましょう!