やりきったと思えることが大事

松谷です。

受験ってやっぱり実力だけでなく、多少の向き不向きやさらに運不運などがあると思います。

実際、今回ギリギリを乗り越えて受かった生徒や、ギリギリ落ちてしまった生徒もいました。多少の運不運も影響したでしょう。じゃあ運が良かった側だったらいいのか?、不運側だったら悪いのか?とは決してなりません。

 

じゃあ何がその生徒の取り組みの良し悪しを決めるのか。それは自分なりにやりきったかどうか?ではないでしょうか。

 

今回ランチ会でみた合格者たちはそれぞれ自分なりにやりきったような顔に思えまして、それがいいなと。もちろんいわゆるいい大学?というやつに通ったことは確かでしょうけど、そんなことよりその姿勢が良いなと思うんですね。

 

もし、やりきった場合は、つまり自分なりに完全燃焼したならば、その合格先が東大や京大なのか、阪大なのか、神戸大なのかはたまた同志社大なのか、いやもっというと不合格なのかって実際はたいした問題ではないんじゃないかなと。

 

そんな風に思います。

 

もちろんやりきってないと感じたら、今度はやりきるんだと決意して浪人して本気で取り組んだならそれはすごく成長できると思いますし、そうしてもらった方が本当に本人にとって良いと感じます。

 

いや、生徒の合格を請け負うことから逃げてるわけではないんです。言い訳をなんとか探したいと思ってるわけでもないんです。

 

なんでそんなことを改めて思ったのかというと、

 

ネット上の武田塾という塾の広報担当兼塾講師の人(京大休学中)が京大をわざわざ中退して、5年ぶりくらいに受験勉強を開始して半年だけの勉強で東大受験に臨んだんですね。

 

それで残念ながら不合格になったようなのです。(一緒に受けた元東大生も落ちました)普通はそういう遊び半分の企画ものみたいのには多少の嫌悪感を抱くんですが、彼の場合そこに至るまでの鬼気迫るほどの必死な取り組みが見えたこと、ものすごく実際伸びていたこと(センター825)、でも当日恐らくギリギリ足りなかったこと、不合格がわかったときに本気ですごく悔しがっていたこと、それでも実力不足努力不足を認め立ち直って前を向いていたこと、塾講師としてはマイナスイメージになるのに正直に不合格の動画をupしていたことなどを見て思いました。

 

あー、これくらい本気でやったなら受験落ちても関係ないなと。

 

人生は大学入ったあとの方がずっと長いんですから、大学入ったあとが大事だと思います。

 

昔の学歴なんかをアピールしているだけのような塾講師(僕なのか?!)なんかはバカです。そんなのはなんの意味もありません。そんなんになってはいけません。

 

大学受験なんていう瞬間最大風速の結果ではなんも決まらんなと。(ビルゲイツもマークザッカーバーグもホリエモンも大学中退ですよ。)

 

大学入学が決まったひとは今度は受験勉強というフィールドではなくなりますが、精一杯学生生活のなかで自分を伸ばして欲しいなと思います。

 

そうすればきっとすごく魅力的な人間になると思いますので。

 

なんかやや説教くさいこと言ってますが、大学生活の過ごし方や意識の持ち方は人生に多大な影響を与えると思いますのでね。