数学と英語の違い

松谷です。

数学と英語の違いって何でしょうかね。

数学が得意な人は英語が得意でしょうか?英語が得意な人は数学も得意でしょうか?

学校の勉強だけ見ているとなんとなく勉強が得意というカテゴリーがあって、そういう人にとってどの教科っていうのはあまり関係ないようにも見えます。

しかし、カーメリアは英語がもちろん異常に得意ですけれど、数学は嫌いだし苦手だということです。

僕が2ヶ月くらいやっていたオンライン英会話で出会った英語の先生にもそういう人はいっぱいいました。

ということで、実例から考えても、英語が得意だからと言って、数学が得意とは言えないでしょうし、逆もしかりでしょう。

アメリカとかイギリスの学校とか見てもあきらかにそうでしょうね。数学苦手だ~と言って苦しんでいる人はいっぱいいるでしょう。しかし、誰も英語で苦しんでいないでしょう。

 

英語と数学において最初に思いつく違いは、英語が自然言語で数学が人工言語だということがあります。

数学は人工的にできたものであるので、どうしてもそれにアジャストできるかどうかで得手不得手ができてしまうだろうというようにも考えられるかなと思います。

一方で、自然発生的にできたものである、自然言語の英語は自然にやればだれでもコミュニケーションがとれるようになっているんだと思います。うちの3歳の娘ですらかなり流暢に日本語しゃべってますからね。

 

もう一つ思いつく違いは、帰納的なものなのか、演繹的なものなのかということです。

自然言語の英語にも規則があります。しかし、その規則は、どちらかというと帰納的に決まっているものですよね。つまり、山のような実例の言葉があり、そこから法則性を見出すような形で、「主語のあとに動詞が来て、そのあとに目的語がくる形で、Sは~する、~を(に)という意味だね!」みたいな理論が抽出されます。そして、第2言語としてそれを学習するものは抽出した理論を先に習うの普通です。ただ、もちろん、元々理論が先にあったわけではないので、例外が山のようにありますし、少しずつ変化もしてくものです。ですので学習者が理論ばかりをずっと考えていると、スピードという観点でかなりタイムロスが起こってしまいコミュニケーションの障害になったりします。なので、その障害を乗り越えるには、最初は理論を習ったとしても大量の実例を話し聞き読み書くことで自分の体内に蓄積していかないといけません。(僕は不足しています。)

 

一方で、数学は、確かな定義とか公理とかそういったものから、ひとつひとつ論理を積み重ねていって、定理などの数学の体系が出来上がっています。すなわち、各規則が演繹的に導かれているんですね。ですので、定まったものであり100年後も変化しないという性質があります。そんな性質から、規則一つ一つを下から上に完璧に理解して積み上げていけば自ずと高みへとつながっていきます。

 

ということで、英語と数学はかなり違うんだと思うんですね。

 

でも、学校の英語などで英語の成績と数学の成績がいい人が被っていることは多いですよね。(少なくとも高1くらいまでは)

 

それは、やはりまだ英語でも運用というフェーズのところをチェックしているわけではなくて知識とか理論とかそういったフェーズのことしか確認できていないからなんだと思います。

英語もかなり近い将来には運用力まで見たフェーズで測られていくのかもしれませんね。そうすると、数学の成績との相関が崩れてくる可能性はありますね。てか英語の場合はそもそも何かテストのようなもので測るのにそぐわなくなってくるのかもしれませんけども。まあ運用力についても極限まで行く必要はないんだと思いますけれどどうなんでしゎうかね。過剰なネイティブ信仰になってしまうのもね。。。。既に塾の上位クラスが日本語力にも優れた帰国子女ばかりというようになっているところもあるようですが。

 

 

このあたりがなんとなく普段僕が思っていることです。

 

しかし、それと同時に思うのが、自然言語の特に母国語に触れる時間というのは本当に莫大だよなと。

 

だから、数学だってアメリカ人にとっての英語くらいの分量で触れるものであればたぶんおそらく皆が得意になっていると思うんですね。もちろん皆が得意になればその得意の中でも差が出てしまうわけですが、少なくとも得意であろうとなかろうとあまり意識せずに皆が使うような道具になっているのかなと。それがいいかどうかはともかくね。