悔しさをばねにするかどうか

松谷です。

昨日は、テニスの体験レッスンに行っていました。

僕がテニス好きだということは、伝えたと思いますが、個別指導塾に勤務していた2年半は、休みがあまりなく、テニスができていなかったので、すごく久しぶりでした。

体験レッスンは、中級ってところで受けようと思ったのですが、空いてなかったので、人数が少ない初級クラスでやりました。

人数が3人ということもあり、結構量もうつことができ、ちょっとずつ感覚は戻ってきました。もちろん周りは初級者で3回に一回くらいしかコートに球を入れられない人もいましたが、久しぶりの運動ということもあり、それなりに、満足感をもって終えました。

 

そして、体験レッスンが終わってから、入会の案内を受けているなかで、最初に入るクラスが伝えられました。

「そうですねぇ、ブランクもありますし、初級で、お願いします。今のクラスで。」

「?!初級?!今の人たちと同じクラスですか?!、、、か、考えさせてください。。。」

正直ショックでした。別に僕はここからシリアスプレーヤーを目指すとかではないですけど、やはり、ブランクはめちゃあるとはいえ少なくとも中級くらいの実力はあるつもりでしたし、そう言われるものとばかり思っていました。もちろん基礎技術をしっかり練習し直したいという気持ちもありましたが、やはりラリー練習とかも多くなるので、そうすると、3回に1回しかボールが入らない人たちと練習しているとあまりにもロスが多いと思うのです。

しかし、僕に対する評価は、彼らと同じ初級でした。

 

つまり、自分で思う自分と他者が思う自分においてすごくギャップがあったということです。

 

このようなとき、人は大きく2つの道を選ぶことができると思います。

 

この宣告を受けたときに、似たような状況がそういえばあったなと思いましたので、その時のことを思い出しながら、道の選び方の1つを述べてみたいと思います。

 

僕は、高2のときに、英語についてある塾(鉄◯会)に通うことになりました。それまで、英語は得意なつもりでしたし、あまり勉強せずとも学校のテストを受けても模試を受けてもだいたい学校で5番くらいにはいたと思うので、それなりに満足していました。ただ、受験を、迎えるにあたって、よりきっちり勉強せねばならないのかなと思い、友人や親のススメもありその塾に行くことにしました。その塾には、入塾テストというものがありました。テストを、受けたところ、いままでの試験だとあまり見ないような問題だったり、例文そのものの暗記が必要だったりする問題がでていて、やりにくいなと思ったものの、まぁそれなりにできたつもりでした。

 

しかし、僕に下された評価はDクラスというものでした。(当時、その塾は、SA、A、B、C、Dクラスがあったと思います。つまりほぼ最低評価です。)

 

すごくショックを、受けましたが、やはり僕はいまひとつ納得ができませんでした。はっきりいってだいたいの出る例文がわかっていたとしたら、圧倒的に点数が取れる試験だと思ったからです。

 

これは、不当な評価だ!と内心思っていました。

 

しかし、そんなことを言ってもその塾に入ろうというものは、ある程度その塾のやり方に従ってやっていかなければなりません。僕はこの悔しさを晴らしたい、そして自分の感覚が正しかったということを証明したいという思いのもと、あまり、きっちりやってこなかった英語に対してまずは、その塾のやり方に従ってきっちりやり続けてみました。

復習テストというものが、毎週あったので、きっちりやって、ほぼ毎回100点をとるくらいやってたかと思います。

そして、待ちに待ったリベンジの時がきました。確か、全体の統一テストみたいなのがあって、クラス分けテストとかではないものの、これまでの復習みたいなものが問われるテストでした。

結果は、120点中100点くらいでした。確か時間配分を誤って、最後の15点分くらい白紙だったので、やったところはほぼ満点だったものの、また悔しい思いをしました。ただ、僕の上にいたのは、ほぼSAクラスの人と一部Aクラスの人だったので、少しは晴らせましたが、やはり自分の実力が発揮できていないという悔しさが残りました。(これでなんかBクラスに上がった気がします。)

そして、時は経ち、ついにクラス分けテストの時がきました。高3に入る時くらいだったかと思います。この時は、悔しさをらはらす最後のチャンスということで、試験前には武者震いをしてたような気がします。テストを、受けた後はやりきった感が残りました。これでだめだったら、まぁ仕方ないと。

そして結果は、

120点中100〜105点くらいでした。正直うろ覚えですが、確か東京校と合わせても全体で、10番から20番くらいだったかと思います。下のクラスの大下克上です。

 

いまでは、なんで当時そんなに躍起になってたのかわからないのですが、やっと悔しさを晴らせたという思いがあり、非常に爽快感があり、自信になったのも覚えています。(そのあと、もう英語はいいやと思ってほとんど勉強しなくなったのはすごく良くなかったと思いますが。。)

 

 

さて、これが、自分の意識と他者評価の間にギャップがあったときに、とる道のひとつです。即ち、そのギャップに悔しさを感じて、その状況をひっくり返したい、ひっくり返せるに決まっていると信じて、それをバネにして、日々をしっかり過ごすことで、逆に大きく羽ばたくということです。

特に、勉強とかで、クラスが違っても同じカリキュラムを敷いているような塾(その塾や稲荷塾など。)などでは、要は自分との戦いを粛々とこなしていけば、自ずと結果が出るわけです。要はそれを、ひっくり返せると信じきれるかどうかが問題になってきます。

 

そして、ギャップを感じたときにとるもうひとつの道は、いい意味で諦めるということです。

自己評価と他己評価が乖離しているけれども、ほんとは、他者の評価が正しいんだな。それを、きっちり1回受けとめてみよう。と考える姿勢です。そうして、やや客観的な姿勢に立てば、実は違った解決策が出てきます。自分は全然実力がないんだという視点に立てば、逆にここはいいなと自分の良いところも見えるかもしれませんし、いままでに見えなかった他者の意見を、取り入れられるかもしれません。また、もしかしたら、その取り組んでいるものそのものに、あまり興味がないのかもしれませんし、そうしたら進路変更につながるかもしれませんし、それが、人生にとってはより大きなプラスになるかもしれませんね。

 

 

話が長くなりましたが、僕のテニスに対して受けた評価の乖離については、昨日の時点では、前者の道をとるぞと思っていました。

ただ、ちょうど今思うのは、すごくブランクがあいたことで、逆に基本技術をしっかりやってみたいなという思いもあります。

あと、次にちょっと違う体験にいくときは、壁打ちくらいしてから、行こうかな、それでより楽しめるといいな。という感じです。

 

生徒さんも、もし、勉強や部活とかで、何らかの評価を他者からもらったら、その評価をうまく自分の中で捉えて、その後に生かして欲しいなと思います。その付き合い方がうまい人は、成長する人だなと思います。

 

 

後日談:

その塾の入塾テストはやはり新参者にはなかなか厳しいものだったようです。僕より後に入塾した同じ学年の洛星の子がいました。その子は京大医学部に10番くらいで通るくらいのよくできる生徒でしたが、それでもBクラススタートだったのです。ある意味僕の最初の感覚は当たってたということですね。