塾の目標

私が通っているジムではスタジオでのエアロビクス等に自由に参加できるようになっており、その映像がトレーニングルームで流されています。

すると、エクササイズの雰囲気がインストラクターにより大きく変わることを発見します。

今日のインストラクターは下手でした。後ろの人たちとインストラクターの動きが一致しておらず、生徒さんたちの中にどう動いてよいのかが分からないという戸惑いが見て取れます。そして今一盛り上がっていません。インストラクターはときどき後ろを振り返り、動きの指示を出していましたが、生徒さんたちが飲み込んでいるかどうかが把握できていない様子でした。

私は有酸素運動の30分間、マシーンが画面に向けられている関係上、嫌でもその映像を見ることになり、あまりいい気分ではありませんでした。

 

仕事柄、どうしてもそういうところを見てしまいます。

人に何かを教える場合、相手の状況を理解することが一番重要です。それを把握した上で適切な説明方法を選ぶのです。

これが自然にできる人とそうでない人がいます。チューターを見ていても上手い下手があります。頭が良くても下手ということもあります。まあ、稲荷塾の場合、相当レベルのチューターが揃っていると思いますが …

と言う私も、この点に関してはかなり得意な方です。相手に応じてどこまでも説明方法を変えることができます。

 

しかし一方、塾には目標というものがあります。

大雑把に言えば、受験時には東大・京大レベルに到達するということであり、そのためにこの段階であればこの程度でなければならないといったような基準が存在するのです。

ですから実際上、「どこまでも説明方法を変える」ことができるような余裕はありません。

たとえば、数ⅠAクラスでテキストの問題を解いて来ていない生徒が何人かいます。これは予習が甘いというレベル以前です。そんないい加減な取り組みでは何度やってもできるようにはなりません。そういう生徒には事実上、「引き上げるのが無理だ」と感じさせられてしまいます。

今週の数ⅠAの授業でも一人の生徒に「君は無理だと思う」と言いました。彼はこれをどのように受け止めたのでしょうか …

塾をやめて自分に合った方法を探すのも一つの選択肢だと思います。そうでなければ、根本的に取り組みを変えるしかありません。こういう生徒がいると授業が楽しくないですから。