コミュニケーションのツールとしての英語

再び英語に燃えてみようかな、と思い始めています。

というのは、昨日、説明会に来てもらったあるお父さんと話す中、英語で苦労しているという話が出たからです。

その父さんはお医者さんで、英語を使う場面が実際にあり、日本人は英語をコミュニケーションのツールとして使う力が弱いと痛感しているということでした。

また、それとは別で、最近英検2級を持っているという生徒がA会話に参加することになり、入ったクラスで結構やっていけるのではないかと思っていたところ、実際はもっと基礎からやり直さないといけないということが判明し、英検って一体何だろうなどと思うことがありました。

要するに、「本当にコミュニケーションのツール」としての英語を学んでいるのだろうかという疑問です。

学習のための学習では意味がありません。

もちろん方法論は重要ですが、何のために学んでいるのかという目的意識がぶれたら、当然成長は遅くなります。

Carmelia はその点に関して非常にシビアで、例えば英検での評価が高いかどうか等は完全に無視しています。学校も無視です。

我々の感覚で、この子は英語ができるはずだと思っても、ずっとできなさそうな子と同じレベルだということになることもしばしばです。

つまり、「我々の感覚」が間違っているのです。学校の成績や英検といったものは、「コミュニケーションのツールとして英語が使えているか」という基準と大きくずれていると言わざるを得ません。

まず、この「目的意識」を明確にすることが大事です。

 

こんなことを考えていると、ふつふつと学習意欲がわいてきて、今朝はかなり意欲的にリスニングの練習ができました。

よしっ、頑張ろう!