妄想。もし京大にいってたら。

松谷です。

ふと、妄想します。もし京大にいってたら。

僕は東大にいきました。その大きな理由は親元を離れてみたかったからです。もちろん他にも、京大の英語の採点が不明瞭で当時得意だった英語がそんなに生きない可能性もあるのが嫌だったとか、高校の同級生の多くが京大に行くなか関係性の変化が乏しいのが嫌だったとか、学びたいことが決まってないのに学部学科を決めるのが嫌だったとか、いろいろありますが、一番は親元を離れてみたかったからです。

 

これは、決して親と仲が悪かったとか喧嘩していたからとかではなく、単純な好奇心からでした。(多分親との仲はかなり良かった方だと思います。)

 

で、別に東大に行ったことを後悔しているわけではありません。

友人にも先生にも恵まれましたし、そのあと東京で会社に勤めてますし、周囲の人に恵まれていたと思います。そして、何より妻にも出会えましたので。

 

ただ、もし京大に行ってたらどんなだったのかなと考えます。

 

稲荷塾には、京大の学生が多いですし、僕の親類にも京大関係者も何人かいますし、何やらすごく身近なんですね。そして、彼らに1人も嫌なやつはいませんからね。

 

まず、京大だったら、家から10分なので一人暮らしはできませんね。つまり、実家から通うことになったはずです。もしくは、無理やり祖父母の家に転がり込むか。

 

そうしたら、自分で生活する能力はつかなかったかもしれません。また、実家暮らしだから、彼女はいなかったかもしれません(笑)

さらに、全然知らない環境に混ざっていく能力とか、そういう力は養えてなかったかもしれません。

 

でも、一人暮らしや東京という新しい土地での生活に慣れるという部分の負荷はなかったでしょうし、同級生の知り合いが多いことによる情報収集の楽さはあったでしょう。

それにより、もしかしたら学業にもっと集中しやすくて、もっとある特定の学問やテーマにのめり込んでいたかもしれません。

その結果、大学卒業後の方向性が違ったかもしれません。

そうしたら、前の会社には勤めていないかもしれないですし、今こうして稲荷塾にも勤めていないかもしれません。

 

まあ、でも、妻にも出会ってないということになりますし、子どもも生まれていないことになります。それはもう全く違う人生ですし、そういう人生を歩みたいとは思いませんが。

 

 

まだ、そこまで受験を意識していなかった、少し英語が得意くらいの高校生が、稲荷先生に教えてもらった数学の技術を半分くらい?吸収したおかげで、なんとなく受けた高2の模試かなんかで東大のA判定がとれてしまったわけですね。あっ、普通に行けるのかと。そのあたりから意識していつのまにか決めてました。実は、志望校を決めたタイミングや当時の心境やきっかけとなった理由などは、はっきりとは覚えていないんですね。確か親に相談したわけでもなくただ東大に行くことにするわと伝えただけだったと思います。(今考えると下宿費など何も考慮しない子どもの浅はかさが見えますが。あと、高2の模試はそんなに当てにならないんですが、そんなことは当時の僕には知る由もないわけですな。)

 

でも、そんななんとなく決めたことで、人生ってぐわーって動いていきますよね。

思うのは、自分の人生の選択って案外自由度があるんだなということです。

もちろん、レールがあった方が考えないでいいし、安全な面はありますが、それでも案外自由なんですよ。なかなか気づきませんけど。

自分がなんとなくぴんときた、しっくりきたという選択肢があれば、その方向に飛び込んでしまうというのは結構ありだと思います。人生は一回ですし、まあ自分の思うように生きていいんだと思うんですね。

最近会社を起こす友人が多くて、そんなことを思いましたね。