素地を作る(最終章)
数ⅠAのクラスと数ⅡBのクラスでは、数学の内容そのものを学ぶと共に取り組みの姿勢や意識自体を変えることが重要だと感じています。
しかし、
それは簡単なことではなく、特にまずいと感じている5人の状況は深刻です。
なんでなんだろう?
実際には高校数学の内容なんて簡単なものです。一つ一つ理解して積み上げて行けば、誰でも到達できるように見えます。
覚えるべき量もごくわずかです。それは英単語の膨大な量と比べてみれば一目瞭然です。
でも、
積み上がらない子がいるのです。
積んでも積んでもすぐに崩れ落ちる子、そもそも積み上げること自体ができない子、積み上げようとする意識自体が見えない子、定義の理解が曖昧で、使う言葉が乱れまくる子、そこに集中力がなくミスを連発する子。
それぞれに傾向は違いますが、このままではいつまで経っても目標に到達するとは思えません。
一つ言える彼らの共通事実は、関心事項が「結果だけ」ということです。
「分かっていなくても、答えさえ合っていればそれでいい」という姿勢です。
「稲荷の独習数学」から似たような問題を探し出して、そのやり方を真似して書けば丸がもらえますが、それを理解することと丸がもらえることのどちらが大切かを考えてほしいです。
ひどい場合は、昨日、その「類題を探す」という作業さえできず、友達のノートを写そうとする子がいたので、「バカモン!」と一喝しました。
ちなみに、その5人のうち4人は中学受験組です。
中学受験自体が悪いとは思いませんが、「結果のみを追い求める」となりやすいことには注意しておくべきことです。
さらに言えば、これは家庭の姿勢と関係しています。
つまり、長い年月をかけて作り上げられた傾向なので、まずくてもそう簡単には変わらないということです。
そういう負債を子どもに背負わせてはいけません。
仮に本人が自覚して、変わろうと決意し、真摯に取り組んだとしても相当の時間がかかるだろうと思います。
ですから、
特に子どもが小学生ぐらいのときに、親は焦ってはいけません。
子どもが最後に勝てるように、その素地を作ることにこそ注力してほしいと願います。