授業に燃える

昨日の補足をしておきます。

稲荷塾の反転授業では予習を前提に「ポイント講義で整理し直す、小テストで確認する、補充プリントで演習をする」としており、予習のレベルによってポイント講義の時間が変わると書きました。

以前に「分かりやすい授業はよくないのではないか」ということを書いたことがありますが、みんながつまずきそうなところを講師が先回りしてつぶして行くような授業は、一見して洗練された授業のように感じます。しかし、そうかそうか、と納得させられる授業は、いざ自分でそれを使おうとしたときに、「あれっ、どうだったっけ?」というふうになりやすいのです。

つまり、つまずくべきところはつまずき、自分で考え、いろいろと調べてみて、それでも解決しないところは質問に行き、… と地道な努力をしてこそ身に付くのです。そういう意味で、心優しい授業は必ずしも生徒のためにならないのではないかと感じるのです。

ですから、ポイント講義も短ければ短いほどよいと考えており、それよりは演習の時間をたくさん取り、実際につまずいて、質問をするという機会を多く持った方が効果的だということです。

これは私にとっても新しい発見でした。

長年、分かりやすい授業を目指してきて、飲み込みにくい概念を如何にかみ砕いて説明するかということに情熱を注いで来ました。

しかし、完璧に説明したと思っても、生徒ができるようになるとは限らないのです。

ところが反転授業を始めてみると、こちらが何も説明しなくても生徒はできるようになって行くということが起こり出したのです。

そうなると、講師の役割が変わって来ます。

「生徒がつまずかないように説明する」から「生徒がつまずくのを待って手助けする」といった感じでしょうか?

 

それから、「予習のレベルを上げる」とはどういうことかについても書いておきます。

ポイント講義を始める前に、今日のところで不明な点はなかったかと確認を入れますが、「ここが分からなかった、あそこの意味が分からない」といったよう声がたくさん出て来るようならば、予習のレベルが高いと言えます。

「稲荷の独習数学」を読んで新しい概念を理解したならば、テキストの問題を解いてそれを確認しますが、このテキストは初学者にとって相当にレベルが高いです。必ず「あれっ?」ということが起こるはずです。そのときに「稲荷の独習数学」に戻って説明を読み返し、またテキストの問題に進み、… という行ったり来たりの作業を繰り返し、力が付いていくのです。

しかし、理解が深まれば深まるほど、いろんな疑問が出て来るのが当然のことで、そうするとポイント講義の前に様々な質問が飛び出してくることになるのです。ときには、こちらが「う~ん」と唸るような質問が出て来るようならば、活気ある授業の開始を予感することができ、予習のレベルは高いということになります。

 

生徒も、それから我々講師も、まだまだ改善できるところはありますし、もっと上を目指して頑張って行きたいです。