入試改革に物申す
昨日は運転免許試験場に免許の更新に行って来ました。
すごくめんどうだと感じつつ行って来ましたが、ひょっとして不満を持ってはいけないのではないかと気付きました。
というのは、こういう試験場って、各都道府県に1カ所しかないような気がしてきたのです。
そうすると、私のようにバイクで10分の距離にそれがあるって、すごくラッキーなんじゃないかと思ったのです。
つまり、一般的にはずっとずっとめんどうなもので下手をすると1日仕事になる場合もあるところを、仕事前の午前中にささっと終わらせることができましたので。
さて、日本の入試制度が変わろうとしていますが、どのように変わろうとしているのかが見えにくいです。
そこで今日はそのことについて私見を述べておきたいと思います。
難しい入試問題を課す日本式はよくないのかどうかということについてです。
まず、入試問題が難しいから高校生が勉強をし、大学のレベルが上がります。
だから、これまでやってきたことが悪いとは私は思いません。
そもそも、日本の大学ランキングが下がっているという話がありますが、日本の大学のレベル自体は下がっていないので、問題にすることではないと思います。
大学ランキングというのは、外国人教員がどの程度いるかとか、教師と生徒の比率はどうかといった、あまり本質的ではないことが評価基準になっていたり、引用される論文数を比較するなどといった、あからさまに英語圏でないことが不利になるような基準になっているのです。
実際、学部卒業時点での学力は基本的に東大の方がアメリカのトップ大学より高いと彼ら自身が評価しています。
したがって、学部を卒業し、アメリカのトップ大学の大学院に進学しようと思えば、語学の問題さえクリアすれば比較的容易に受け入れられるようになっているのです。
ではなぜ、東大生の学力は高いのでしょうか?
それは言うまでもなく、入試制度により高い学力をもった学生を集めたからです。
つまり、難しい入試問題を課すという日本式入試制度が機能しているということです。
ただ、日本の大学の情報発信力には問題があります。
要するに、英語がコミュニケーションのツールとして使いこなせていないという弱点があるのです。
ということで英語教育は改善すべきです。
入試で問われる内容も、読み書き中心のものから「読み書き話す聞く」の4技能を問うものへ変えて行けばいいでしょう。
ですが、だからと言って、欧米がやっているようなAO入試に全面的にシフトすべきという話ではないと思います。
それからセンター試験の改革についてですが、何をしようとしているのか全く訳が分かりません。
そもそも、上から下まで同じテストを受ける意味ってあるのでしょうか?
こんなのはやめてしまえばいいというのが私の考えです。
それぞれの大学がそれぞれのニーズに合った学生を選抜するために独自のテストを実施する、それでいいじゃないですか!
立命館が一芸に秀でた学生を集めるために自己推薦という制度を作った、とても素晴らしいことだと思います。
京大で数学オリンピックなどで優秀な成績を取った生徒に対する推薦入試がある、むちゃむちゃいいじゃないですか!
センター試験の存在意味は限りなく低いと思います。
意味のないものを改革してどうするのですか?!
以上、漏れ聞こえてくる「入試改革」のほとんどはダメです。
これらは個々の大学が主導すべき課題なのに、顔の見えない誰かが主導しようとしているところに無理があるように思います。
もちろん全体を眺めて物を言う人も必要だと思いますが。
無意味な「改革」で現場が混乱しないことを祈ります。