学校を作るぞ!

長年、学校を作りたいと叫び続けて来ましたが、今回ほど真剣にそう思ったことはありません。

AJ Hoge がエリート教育について語っていたのです。

それは一般に行われている教育とは全く違います。

ここでは、アメリカの超リッチな家庭の子弟が通う私立学校について述べていますが、そのようなリーダーを育成するための学校は世界のあちこちにあると聞いています。

ただ日本では聞いたことがありません。

日本の公教育は中から下に照準を合わせ、落ちこぼれが出ないように運営しているように見えます。その故にトップの子たちは退屈し、そこでは彼らを伸ばすことができない、というのが私の意見でした。

実際、上位1%を集めて稲荷塾方式で授業したら、みんな小学生の間に高校数学に入るでしょう。中には小学生の内に高校数学を終わってしまうような子も出て来ます。

公教育では、こういう子たちを完全に無視していると感じて来たのです。

しかし、AJ Hoge の話を聞いて、どうして教育改革が実現されないのかが分かりました。

公教育とエリート教育では目標が違うのです。

公教育は優秀な労働者を作ろうとしているのです。

授業中は先生が90%話し、みんなはそれをじっと黙って聞くようにトレーニングしようとしているのです。

先生が「正しいこと」を教え、それを身に付けた子が優秀な子として評価されるのです。

でも、これって違いますよね?!

先生はコーチでないといけません。生徒が自ら学んで行けるようにアドバイスし、ときには叱り、押したり引いたりしながらリードするのです。

つまり、先生には何らかの分野で真剣に取り組んできたという実績が必要です。そして、そこからにじみ出て来る人間的魅力が必要で、しかも教育に対する情熱があふれ出ていなければなりません。

これがなければ、何をしても無駄です。

たとえば、今話題になっているアクティブラーニングだとか、いくら方法論を議論しても不毛で、そもそもそういう方法論は、文科省が示すものではなく、現場から出て来ないといけないと思うのです。

しかし、こういう改革的動きがあちこちで起こり、切磋琢磨する土壌が形成されているでしょうか?

そんなのは聞いたことがありません。

逆に、英語を話せない人が英語を教えているなどという冗談のような話ばかりが耳に入って来るのです。

でも、

教育の目標を変えれば何かが起こるかもしれません。

つまり、リーダーを育成するのだということを明確に打ち出し、それにふさわしい生徒を選抜し、それなりの教師を集めてモデル校を作るのです。

えっ、

そんな思い切ったことは日本ではできないだろうってか?

そうなんです。

仮に同意する人が相当数いたとしても、とにかく反対するという人たちが出て来るのです。

それに、同意するという人たちの中でも、微妙な方向性の違いが出て来て、これを取りまとめることが難しくなるのです。

それで、うだうだとしているうちに何も実現しないまま時間が過ぎて行くのです。

国では意思決定が遅すぎて、永遠に実現しそうにありません。

だから私がやろうと思ったのです。

個人でならできるはずです。

 

このテーマは非常に大きいです。

具体的にどんなことがしたいのか、基本的考え方はどうなっているのか、稲荷塾との整合性はどうなのか、…

もちろん、私の中にまとまった考えが出来上がったわけではありません。

ただ、あふれる思いを抑えることができないという状況です。

これを少しずつ整理し、そして行動に移して行こうと思います。