教師が導けるのはどこまでの生徒か?
松谷です。
「教師が導けるのはどこまでの生徒か。」
たまーに考えることがあったテーマです。
基本的には、教師は、自分の力量を超えるように、生徒に育って欲しいと感じるものなのだと思いまし、一般的にもそう言われています。
さて、しかし、自分の力量を超える生徒というのはどこまでは導けると思いますか??
これは、仕事に言い換えても同じだと思います。自分の力量を超える部下をどこまでは育てられると思いますか??
もし、正解を教えるということに固執していく場合は、やはり講師や上司が知っている正解の範囲までしか教えられないのではないかと思います。
もちろん、生徒より準備する時間があったりする分、自分がもともと正解を知っているところよりは少し超えるところまで教えられるかもしれません。
以前いた個別指導塾は、大学生を講師として雇っていました。
大学生にはいろんなレベルの受験勉強をした大学生がいます。雇っていた先生には、東大生、東工大生、千葉大生、慶應生、march生、日東駒専生、もう一つ下のランクの大学生といました。
大学生は、自分の好きな科目ならば、しっかり準備すれば中学生は教えられるということは感じました。
一方で、大学受験に関しては、感覚的には、準備をがんばれば自分の一つ上のランクの志望大の生徒まではなんとかあやしいながらも教えられるという感じでした。
つまり、日東駒専に受かった学生は頑張って準備すれば、生徒をmarchの大学に入れることができるということです。
しかし、日東駒専の学生が、生徒を早慶に入れるのはかなり難しいと感じました。
やはり、講師が想像すらできない世界は教え切れないということです。
まぁ、大学生がアルバイトでやっているわけではなく、講師として生きている先生の場合は、出身大学など関係ないんでしょうが。
でも、一方で、自分が知識として持っていても、問題として出されたときに解けたとしても、そのレベルまで生徒を導けるかは、別問題という側面もあります。
前の塾でも、有名大出身の人が必ず教えることがうまいわけではありませんでした。
教え方自体が下手な人もいれば、コミュニケーションが苦手な人もいれば、生徒ができるようになることに対する熱心さに欠ける人もいました。
逆に学力的にはいまひとつだけど、すごく熱心な指導で生徒を伸ばすのがうまい人もいました。
さて、翻って自分が教えられるレベルは、どこまでかと考えてみます。
数学に関して、今までの仕事の経験と稲荷塾勤務が決まってから改めて勉強したこともあって、東大京大くらいの問題はだいたい全部解けるようにはなりました。
つまり、このまま精進すれば、そのようなテストで満点近く取れる生徒を育てることはできる気がします。(稲荷先生の技すべてを貪欲に吸収した前提で。)
しかし、今のところ、優秀な数学者を育てられる気がしません。
僕には、まったく、想像をしきれない世界だからです。
英語に関してはどうでしょうか。
東大京大の入試で合格点をとれるようにするのはできるでしょう。しかし、それで、9割〜満点を取らせるのはたぶんできません。(だいたいこれくらい取る人が1年で1〜10人くらいいます。)
toeicなら、900〜990とらせることは、多分可能だと思います。当時、攻略法で本を書こうと思って、あまりにも研究しすぎてたので。
しかし、toeflで110以上、英検1級で優秀賞合格、ieltsでoverall7.5以上などは今は指導できないんだと思います。
つまり、今、挙げたような不可能だと思うようなところに関して、可能にしようと思うなら、自分も、鬼のように精進しなければいけません。そのようにして、やっと見えてくるところなんだと思います。いろいろと時間に限界はありますが、やってやれないことはないことかもしれません。
一方で、もし、講師の役割が、正解の知識を教えることではなくなるならば、少し話は変わってきます。
そのときは、自分の知識には制約を受けなくなるんだと思います。
そのときに必要となるのは、coachとしてのコーチングスキルになるんだと思います。
そのスキルがあるならば、自分をはるかに越える怪物のような生徒をも育てることができるのではないでしょうか?
うーん。モヤモヤとしますが、
自分の知識の拡充、
少なくとも自分が知っている知識まで到達させる方法の確立、
自分をさらに超えさせるためのコーチングと授業方法の確立、
このあたりが、先生としての一生のテーマになってくるんだろうなと感じております。
ちなみに、英検の準1級もとれないレベルの中学の英語の先生が、英会話を教えられるのかはわかりません。。。。
(まぁ、言葉を濁していますが、はっきり言うと無理だと思います。。コーチだとしても。。)