ある集団が求めるもの

松谷です。

 

今日は二回目のテニススクールの体験レッスンにいってみました。某メジャーなテニススクールですね。

 

さて、前回、初級と認定されたので、次はじっくり壁打ちしてからやりたいなと、思っていたのですが、今朝、ふと、「あっ、体験行ってみよ」、と思いたったので、素振りを、したくらいで行くことになりました。

 

さて、調子は、どうだったかというと。

 

うーん、かなり悪かったです。はっきりいって前回別のスクールで、最低の初級ランクに認定された時の方が、2倍くらいましでした。

 

僕には、たまにあることなんですが、すごく久しぶりのときは、長い間染み付いた悪い癖とかが修正されたり、ボールを打つ新鮮さに感動したりで、思いのほか気持ちよくできることがあります。

そして、その次くらいは、やっぱり久しぶり感がでて、かなり悪くなったりするのです。まさにその感じでした。

 

あー、これはショックだわ。しゃーない、自分を受け入れようと思ったら、普通に、「中級」になりました。

 

さて、僕はいきなり何かが強くなったのでしょうか?いや違います。むしろ下手になってました。

 

では、何でクラスが変わったんでしょうか。

 

コーチが見る目があるかどうかという問題はあるかもしれません。でもそれはいったんおいておきます。

 

すると、答えは明確です。

 

集団によって求めるものやレベルが違うということです。

 

前体験行ったテニススクールでは、多少ボールが打てていたとしても、フォームの安定感とか、ゲームに入ったときにある程度の球にスムーズに対応できるかとかそういった要素まで求められ、もう一つのスクールは、まぁ経験があって、それなりにラリーができればよしとしている感じでした。

 

今さらながら、前のスクールの方がいい気がしてきました。でも遠いから厳しいか。。

 

 

さて、ところで、これは、勉強にもいえるのではないでしょうか。

 

たとえば、

ある学校は、教科書レベルができればいいよ、またある学校は、センター試験レベルができればいいよ、またある学校は、上位国立大学レベルができればいいよ、またある学校は、東大京大合格レベルができればいいよ、また、ある学校は、東大理三京大医学部レベルができればいいよ、などいろいろと集団によって、求めるものが異なっていると思います。

 

さて、稲荷塾の求めるものはどうでしょうか?

 

やはり、最終的に、東大京大(医学部)に普通に合格するレベルの問題を解く力を求めています。

そして、そこから逆算すると、各単元の基礎を学ぶときも、求める基礎のレベルも高くなります。

学校の教科書レベルではなく、やはり、稲荷の独習数学レベルのものを求めていると思います。

授業でも少なくともそのレベルのものが求められていると思って、予習して臨んで欲しいなと思います。

 

僕も、そのレベルをイメージして授業をしたいなと思います。

 

もし、塾生がそれを超えるレベルまで到達する予習をしていたら、こちらももっと踏み込まなければならないですし、基礎が全然いかんとなれば、授業も基礎確認ばかりになり、あまりよくないわけです。

 

先日、反転授業を一つ担当して、なおのことそう思いました。

 

思ったより、予習段階で理解していそうな気配を、感じたからです。

 

こちらも、顔色やちょっとした質問から、理解度をもっと察するようにせねばと思いました。