A会話宣伝文
A会話の宣伝文を作りました。
まだ修正が必要ですが、とりあえず叩き台です。
それと、なぜか字が大きくなってしまって直せません。どうするのでしょうねぇ? ワードからのコピペなんですが、当ブログでは字の大きさが調整できないのかも知れません。許してください。
コミュニケーションの道具としての英語を約1年で身に付けよう
A会話(稲荷塾英語クラス)は特別なメソッドです。これを私(稲荷)の体験を通して紹介します。
私はかつて、英語がしゃべれるようになりたい、洋画が字幕なしに楽しめるようになりたいと願いながら、多くの教材を試し、英会話スクールにも10年近く通いました。しかしダメでした。英語圏に行って、そこで数年暮らすようなことでもない限り、これは決して達成することができない目標だと感じていました。
ところが、道がありました。それがA会話です。
順に説明しますが、具体的な方法を紹介する前に、まず質問です。
どうして日本人は英語がしゃべれるようになりにくいのでしょうか? 一般的に言って、中高大と10年間も、あるいはそれ以上英語を勉強したとしても、英語圏の3才児ほどにも聞けて話せるようにならないのはなぜでしょうか?
私の答えは文化です。
英語の文化に入って行かないで、言葉だけを学ぼうとしても身に付くはずがありません。英語を使って遊び、ゲームをし、歌を歌い、… 感情の伴う活動をして初めて英語がコミュニケーションの道具になるのです。
では、A会話について書きます。
A会話はレッスン、多読、日記の3つでできています。
担当は Carmelia。私の知る限り最高の講師です。
彼女のレッスンは英語でゲームをしたり、洋楽の歌詞を埋めたり、遊び感覚の部分が多く、常に大爆笑が起き、とても楽しい雰囲気です。レッスン中は英語の文化にどっぷりと浸かる感覚で、何より、驚くほどにヒアリング力が伸びます。
次に多読です。
これはある大学の先生(アイルランド人)のアドバイスによるものですが、1ページに知らない単語が4つ以下であるような簡単な小説をたくさん読みます。大体の目安は100ページ程度の小説を週1冊のペースで読んで行きます。小説の中には日常使う会話も多く含まれており、英語の文化の中に入って、感覚的に英語が捉えられるようになるためです。
私も実際にやってみたところ、初めは英文が2ページ目になると、もう苦痛を感じていましたが、次第に慣れて100ページ程度なら普通に読めるようになりました。
ここで翻訳の仕事をされているMさん(稲荷塾塾生の保護者)の体験記を紹介しておきます。
A会話で特徴的だと思うことは、会話や発音だけではなく、「読む、書く」も見てもらえることです。
英語を上達させるには、「話す、聞く、読む、書く」をバランスよくやっていくのが早道です。
A会話では Cany 先生(Carmelia のこと)が読むべき本を勧めてくれて、書いたものを添削してくれます。
「読む、書く」は1人でもできますが、やはり見てくれる人がいるとやる気がわきます。
また Cany 先生はかわいらしくて、こちらからいろいろ伝えたいという意欲がわくので、大分思ったことを伝えられるようになりました。
実際職場でも英訳、和訳ともにほめられることがあり、とても嬉しいです。
翻訳の仕事は、もちろんできて当然なので、普段はクレームしか言われません。ほめられるのはすごく珍しいことなのです。
自分の中で、「話す、聞く、読む、書く」のバランスがよくなってきて、英語が上達したかも!と思います。
3つ目は日記です。
オンライン英会話で Carmelia のレッスンを初めて受けたときのことは、あまりに衝撃的で忘れることができません。教え方が抜群に上手い上に、彼女が信じがたいような特殊技能を持っていたからです。つまり、楽しく話しながら、同時に私の間違った英語をタイプ打ちし、さらにそれを修正した英文を付けて、レッスンの最後にどどっと送ってくれたのです。もう私は驚き、もし稲荷塾で英語クラスを始めるとしたら、担当者は Carmelia 以外にはありえないと確信し、必死でメールを打ちました。言いたいことを一体どのように表現すればいいのだろうと、いちいち悩みながらでしたが、自分の考えを伝え、日本に来てほしいと説得しました。このとき私は自分の英語力が飛躍的に伸びて行くのを実感しました。
ですから日記です。何かを伝えようとして毎日書くのです。書いた日記には Carmelia が目を通し、添削し、面白い内容にはコメントを入れてくれます。
以上3つの中に語学の基本になる聞く、話す、読む、書くの要素がバランスよく含まれています。ですから伸びます。
グループレッスンとマンツーマンレッスン
以上述べてきたことと関連しますが、A会話でのレッスンはグループレッスンが中心になります。その方がゲームをしたり、英語の文化に入って行くのに適しているからです。
ただし、留学を控えていてその準備がしたいといったような特別な目的がある場合はマンツーマンの方がいいかも知れません。
ここで、マンツーマンレッスンの体験記を紹介しておきます。この方は10年間海外勤務を経験された方で、いわゆる英語がペラペラです。これを読めば、Carmelia の一面がよく分かると思います。
良い英語の先生にめぐりあうことは難しいです。
私は若い頃、会社のおかげで様々な英語の先生の少人数グループレッスンを受ける機会を得ました。その時、これらの先生はただ雑談して時間を潰しているなという感想を持ちました。これは英語がしゃべれるだけの先生が英語を教えた場合に起こることだと思います。日本語がしゃべれるだけの一般的な日本人が外国人に日本語を教えることになった場合を想像すれば自明です。
間違いを気にしないでとにかく英語をしゃべることは重要ですが、正しい英語をしゃべる努力をしないと英語の上達はありません。
Carmelia は私と会話しながら間違いをタイプ打ちして、授業の最後にどこが間違っていたかを考えさせてくれます。また後日、コメントを補足してメールしてくれます。以下はその実例です。
「I have a sick.
→ I have a sickness.
→ I have an illness.
→ I am ill.
(Note: Most people interchange sickness and illness so using either of the two is fine but some people, especially medical experts, say that sickness refers to a damage to the body while illness refers to an emotional or mental reaction to a sickness.)」
おそらく日本中を探し回っても Carmelia のような英語の先生を見つけることはできないと思います。そこまでやってくれる先生がいないからではなく、そこまでできる先生がいないからです。
It is very difficult to find a good teacher. When I started working, I had chances to have small group English lessons with various English teachers. I then felt that they were just killing time having random conversations. They would not have any other way if they taught English only because they are just English native speakers. (Please suppose that you teach Japanese to foreign people.)
It might be important to speak English without too much concern for mistakes. However, your English would not be improved without effort to correct mistakes. What would happen then if your English teacher pointed out your mistakes immediately each time after you make them? You would not be able to continue a conversation.
Carmelia types my mistakes while she is having a conversation with me, and she gives me chances to see what is wrong with my comments by showing me my sentences with mistakes at the end of a lesson. Moreover, she sends me these sentences and corrected ones with additional comments by e-mail later. Below is an example.
「…」(上と同じ)
It would be impossible to find an English teacher like her even if you searched all over Japan. It is not because there is no English teacher who goes that far but because there is no English teacher who is able to go that far.