やればできるではなくできるまでやる
松谷です。
今日は僕が普段思っていることを、かいてみたいと思います。
僕は、基本的に、たいていのことは、「やればできる」ものだなという風に思うに至りました。(言葉自体はありふれたものですが。)
しかし、それは「適切な方法で」「継続的な努力を伴えば」という但し書きを添えなければ、ただの絵にかいた餅だと思います。
稲荷塾は、ある一定の志向性を、持った生徒に、「適切な方法」「継続的な努力を支える人間関係」を提供したいと考えている塾だと思いますので、やればできるようになりやすいと思います。
ただし、いろんな障壁はあると思います。ひとつは、時間の問題、ひとつは、本人のモチベーションの問題です。
いつかは目標に到達するとしても、たいていの目標には期限があるということです。よって、時間の制約を、なるべく受けないように、効率的なカリキュラム、授業方法が大事になります。
どうしてもモチベーションが上がらない場合もあるかもしれません。個別指導塾時代にも生徒のモチベーションを上げるというのは、どの教室長も、どの先生も苦労していたことです。それは、塾内で完結する出来事でないことの方が多いからです。ただし、できるようになれば、やる気が出てくるという側面は、ある一定の正当性を、持っており、それは、塾が大いに力を注いでいるところではあります。
さて、ここまでは、まぁよく聞くありふれた話だと思います。ここからが本題です。
僕は、これまでに、上記のように「やればできる」と思うに至ったんですが、
実は、いつの間にか、「やればできる」ではなく、「できるまでやる」という風にシフトした考えになっていたんです。
できるまでやるんだから、そりゃー、やればできるようになりますわな。しかも、超高確率で。
まさに、コロンブスの卵的発想ですね。
例えば、暗記するのだって、人によって忘れるタイミングも、補うべきタイミングも違うので、要は3回がんばって覚えるとかじゃなくて、自分が覚えるところまでやればいいのです。
数学だって、問題を解けないんだったら、解けるようになるまで、参考書を読んだり、問題を実際に書いて解いてみたり、人に聞いてみたりして解決すればいいわけです。
まあ、もちろん、そのできるようにするためのやり方に関しては、巧拙がでますし、自分だけではわからないこともあると思います。そういうときには、信じられる人に聞いたりすればいいわけです。
ここで、僕は技術や能力を問うているわけではなく、マインドを問うています。
この、「できるまでやるマインド」に考えがシフトできたならば、本当に人は強いと思います。
じゃー皆がこの「できるまでやるマインド」を身につけたなら、あとは何の差になってくるでしょうかね。
ここからは、「その物事をできるようにしたいか」、「その物事が好きか」、という志向性やモチベーションの問題になります。そうしたら、人はとても自由になれるんじゃないでしょうか?
(もちろん、それまでの状況に応じて個々人が得意とする分野、苦手とする分野があるわけなので、「苦手だけど、やればできるようにはなるな、ただ、ここにあんまり時間をかけるのは得策じゃないから、これはやめとこうかな」「苦手だけれど、これは絶対やらなければならないことだから、できるためにはこれくらいの時間を見越しておかないとな」みたいな合理的な思考をする人も出てくるのではないでしょうか。
まぁ、おれ全部できるけど、何もやらね。みたいな言い訳小僧みたいな人は悲しいですけど、、、。)