勉強法って重要

今、シュンカイは髪を赤く染め、多少長めの髪をカチューシャで止めています。地味キャラだった彼にしては大変身したわけですが、それをするのにいくらかかったかを聞いてびっくり。何と1万3千円ですって!

稲荷塾では木曜日のチューターをしており、来週からは土曜日に移動するかもしれませんが、生徒たちはどのように見ているのでしょうか …

すごく派手ですね、ぐらいの声しか聞こえてこないので、大学生とはそういうものだと受け止めているのかも知れません。

まあ、その辺はどうでもいいのですが、彼の学力があるときから異常に上昇した事実を一般化できないかと期待せざるを得ません。

シュンカイは中2のときに稲荷塾で落ちこぼれていました。悲惨なぐらい。そのときにおじさまに怒られ続けて、シュンカイというあだ名になったのです。

ですから、中3の1年間、高校受験のために稲荷塾を離れた後、彼が戻って来るとは思っていませんでした。

ところが、桃山高校という進学校ではない学校に受かって、稲荷塾に帰って来ました。そしてその後、驚くほどの伸びを見せました。とても同一人物とは思えないような。高2の終わりに高3生と一緒に演習1の直前演習を受けたときには東大理Ⅰに受かった1つ年上の生徒と勝ったり負けたりで全くの互角の成績を取りました。そして今年、京大理学部の受験では6問全完したのです。

何と言っても、解答の完成度が高かったです。論理展開にまるで隙が無く、取りこぼしそうな気配がまるでありませんでした。

彼に何が起こったのか?

現時点では全くの謎です。

しかし、稲荷塾で仕事をした後のチューター所見のところに「鉛筆を持たずに独習数学を読んでいる生徒がいた」と驚きの気持ちを書き込んでいる部分がありました。

彼の中では、新しいことを学んだとき、鉛筆を持ってそれを再現するところまでが1セットになっているのです。

たとえば、解けなかった問題の解答を目で追って納得したというレベルの理解がどの程度危ういものかを彼は知っています。

模範解答を鉛筆を持って再現しようと思えば、目で追っていた時には気付かないようないろんなことを発見します。なぜ、このような場合分けをするのだろうか … なぜ、xが0ではないという断りを入れているのだろうか … といったような疑問を解決してこそ、次に似たような問題に出会ったときに自分でできるということに近付くのです。

こういう地味な取り組みを継続してきた生徒と、解答を目で追って終わりタイプの生徒では解答の質が違います。

彼がチューター所見で言おうとしたことはそういうことだったのではないかと思うのです。

髪の毛の色は真似る必要はありませんが、何か重要なことを彼から学んでほしいと願っています。