怪我の功名

昔、ニッシーレッスンのことを「3日殺し」と呼んでいました。

なぜって、テニスは息が上がってからが本番だ、などと言いながら、もう動けなくなっているところからさらに動くことが要求されるからです。

その結果、レッスン後に吐いたこともありました。

この疲労は簡単には回復せず、金曜日にレッスンがあって、その次の日曜日が試合だったりすると、ほぼ絶望的で、全く動けないまま敗北するということもあったのです。

だから3日殺し …

しかし、苦節20数年、私も徐々に体力を付け、そのハードワークに耐えられるようになってきました。

特に昨年からはレッスンに盾(身長188cm の大男のこと)を準備するようになって、身の危険を回避できるようになっていたのです。

ところが、前回、22日のレッスンは、その盾をもぶち破る強烈なもので、文字通り足腰が立たなくなり、実際、土日と寝込んでしまいました。土曜日の仕事は興心がやってくれたので、何とかなりましたが、日曜日の京都市テニス選手権準々決勝は代打を出すわけにいかず、デホせざるを得ませんでした。

残念 …

一応、昨日、今日と出勤はしているものの、授業をするパワーはなく、興心にやってもらっています。

興心も働き始めてちょうど1年になるので、そろそろ授業を担当してもらおうかと考えてはいました。ただ、巡り合わせで、あまりにも多くの雑用に追われる状況になってしまったので、それが片付いてから、つまり半年後ぐらいからになるのではないかと見ていたわけです。

そういう意味で、怪我の功名と言うか、いい機会が与えられたように感じています。

私も雑用が進みましたし …