「分かりやすい授業」はダメ

分かりやすい授業って何だろう?

それは生徒のレベルによって変わってきます。

たとえば、式変形が丁寧な授業が分かりやすいとしましょう。当然、上位の生徒にとってはまどろっこしい授業だと感じることになるでしょう。

じゃあ、京大受験生にとって分かりやすい授業とは何でしょうか?

それは、彼らが疑問を持たずに習ってきたと考えられるある技術について、それの本当の意味を示したり、普通だと考えてきたはずの処理方法について、もっと便利な方法を伝えたり、要するに彼らの理解を一歩深めることのできる話題が多く含まれる授業が分かりやすい授業のはずです。

予備校講師をしていたとき、これを長年にわたって追求していました。

そして、どの講師もそれを追求していると思っていました。

ですから、その競争で勝つことが重要でした。

稲荷塾を始めてからもその考え方は変わず、ただ、予備校の京大クラスより対象のレベルの幅が広がったので、その点では苦労しましたが。

転機が訪れたのは結構最近のことです。2016年に反転授業を始めて、授業の効率が劇的に向上するようになったので、授業の役割とは何だろうかと考えるようになってからです。

実際、何かを伝えるために板書し、生徒がそれをノートに取るのを待って、それから説明するのに対して、説明のための図も式も説明内容も既に文書化されていて、それを読むのとではどちらが効率的でしょうか?

正直言って、これは比較にすらなりません。

ちょっとした小話や余談を楽しみにしていた生徒がいたことは事実ですが、その部分をカットするには十分すぎるほどの効率化だったのです。

それで、授業の役割とは何でしょうか?

結局、分かりやすい授業をすると生徒は分かったつもりになりますが、実際に自力でそれを活かすことができるようになるには、そこから何段階も先に進まなければなりません。その「分かる」から「できる」までの道のりを短縮させるのが授業の役割です。

ということは、まず、分かったつもりになっている生徒の理解が甘いことを明らかにしなければなりません。

これが小テストです。

ですから、小テストの内容が極めて重要です。

一般的な事実として学んだ定理を具体事例に適用することができるか、逆に、たとえば二次関数のグラフの平行移動を学んだとすれば、それが一般的な法則として理解されているか、といったような、生徒が思わず立ち止まって考え直さなければならないようなことを問うべきです。

ですから、15分の小テストが終わってからは、質問に対応する、小テストの直しに対してコメントをする、次の演習問題を渡し、それができれば採点するといった作業は個別対応することになります。生徒個々で課題が違うからです。

一斉授業でありながら個別指導、これが稲荷塾の反転授業で、分かりやすい授業の何倍も効率的です。

ここで、「何倍も効率的」などと言っていますが、これは誇張ではありません。

ほんの数パーセントの効率の良さを求めて「分かりやすい授業」を追求していましたが、その2倍以上の効率の良さを実現してしまったので!

たとえば、1年間の授業をかけて数ⅠAの内容を伝えていたのが、半年でできるようになり、定着率はむしろ上がりました。

意欲的な生徒は1年間で数ⅠAから数Ⅲまですべてをやってしまうことも可能ですし、半年間で数ⅠAから数Ⅲまでやってしまった生徒もいるぐらいです …

今はローカルな稲荷塾でのみ実行されているこの方法ですが、オンライン講座が始まったこともあり、いずれ全国標準になると信じています。