予備校講師の裏話

予備校講師って、どのぐらいもらっているか知っていますか?

それが多いかどうかは、大体、時給で測りますが …

 

私が予備校講師になったのは1994年で、予備校が大儲けしていた時代が終わった後です。当時、関西文理学院には1000人ちょっとの生徒がいましたが、一番多かった頃と比べると半分以下になっていたと聞きます。全盛期から見れば、かなり寂しくなっていたわけです。しかし、それでも経営的にはまだまだ健全で、たとえば私立文系だったらA、B、C、D、E、Fなどとクラス分けしていました。クラスが下に行けば行くほど、どこにも受からない生徒の割合が増え、予備校からすると「お客さん」になるわけです。それに対して京大クラスなどには学費免除システムなどがあって、彼らはお金を落としてくれるのではなく、宣伝要員として扱われていたわけです。それで、私が新人予備校講師になったころはその「お客さん」クラスもまだ残っており、予備校自体も活気がありました。

ところが18才人口は減り続け、2007年ごろに大学の定員と一致し逆転するという時代を前にして、徐々に生徒数が減り続け、私立文系コースなら2005年ごろには関関同立クラスのみになりました。予備校は基本的に浪人生を対象にしているのに、その浪人生が激減すれば当然の結果として予備校の生徒は減るのです。経営的にも苦しくなり、2000年代に入ると毎年数億の赤字を出すようになりました。

予備校は現役の高校生を集めることを生き残りのための1つの手段と考えるようになりましたが、主力の講師ほど夜の授業を嫌がる傾向がありました。それが原因で十分なコマ数を確保せずに開講したことが失敗の始まりでした。たとえば、関西文理学院だと年間26コマでスタートし、不足分は夏期講習や冬期講習なんかを取ってくださいね、とやったわけですが、これじゃあ成功するはずがないですよね。これは大手でも同じ事情です。

我が予備校もいつまで継続できるかが分からないという状態になりましたが、関西文理学院がつぶれる前に代々木がダメになり、代々木の講師が職を求めて動き回るようになりました。

そのうちの何人かと知り合いましたが、彼らが代々木時代にもらっていた時給はほとんど2万円台でした。しかし、1人だけ4万5千円という人がいてびっくりしました。年収でいくらになるのだろうかと思わず計算してしまいますよね!

いずれにしても、そういう人たちが新天地では一律1万円未満からのスタートになりました。

それで、私の時給は1万円ちょっとだったので、相場は大体そのぐらいのものだろうと考えていました。

 

ところが、

 

とんだ勘違いでした。

一桁違う人たちがいるのです。

たとえば前回のブログで書いた平野先生とか …

 

「何でそんなにもらえるのですか?!」

「私がいると集客できるから」

「…」