「分かる」と「できる」は違う

昨日の数Ⅲの授業は区分求積法についてでした。

少し難しいところもあるし、区分求積法を用いて面積を求めていた段階からニュートンやライプニッツが積分によって面積が求まることを発見していく歴史的過程を考えると非常に面白いので、ついつい予備校講師時代の癖で「分かりやすい授業」をしてしまいました。

これが失敗でした。

できれば20分程度でおさめたいと考えているポイント講義に40分かけ、みんなの疑問が解決された結果はどうでしょう?

確認のための小テストの成績は散々でした。

「分かる」と「できる」は違うのです。

解けない問題を目の前にして「どうするのだろう?」と思っているときに聞く説明と、そういう問題意識を持たずに聞く説明では頭に入る入り方が違います。

小テストの問題が解けないで追い詰められている状況に立って、説明を聞いて「分かった」と言えば、それは次に「できる」可能性が高いです。

しかし、初めに「今日は区分求積法を学びましょう」と言って分かりやすい説明をして、彼らが「分かった」と言ったとしてもその「分かった」は怪しいものです。

だから単に分かりやすい授業なんて何の意味もありません。気分がちょっとよくなるぐらいの効果しかありません。

そんなのは短い時間で済ませ、小テストを通してまだ問題が解けるところまで至っていない現実に彼らを直面させ、それを解決するために本を調べる、それでも分からなければ質問する、こういう過程を通してできるようになっていくのです。

 

稲荷塾は「分かる」ことではなく「できる」ようになることを目指します。

ですから「分かりやすい授業を受けたい」という受け身の姿勢の生徒には稲荷塾は合いません。

そうではなく、「できるようになるための努力は惜しまない」という気持ちで来てほしいのです。そういう生徒にとっては稲荷塾は本当によい塾だと思います。どこまでも付き合いますから!