塾って意味あるの?
松谷です。
塾って意味あるの?
昨日、高校の洛星の同級生(歯医者)と飲んでいて、そんな話をしていました。
僕がせっかく転職して塾で働いている以上、社会的に必要であることをしたい!と熱く語ってたんですね。(社会的に意義がない事業体はいずれ潰れると思います。)
そして、塾の意義について語らいました。
まず、最初に出てきて、結局、最重要の役割となったのはこれです。
公教育の補完
です。
公教育は、良くも悪くも真ん中からやや下位に向けて教育を発信しています。
すなわち、上位層を伸ばすことと、下位層を救うことが塾などの私教育の最大の意義であり目的ではないかということが最初に出ました。
で、両方をカバーするのか、それとも、片方を主にカバーするのか、片方をカバーするならどちらを主戦場にするのか、それらは、塾によるわけです。
具体的には、塾の目的や塾が持っているリソースによって変わります。
塾のリソースとしては、先生の数や質、方向性などがまず関係していきます。
大手なら上位も下位も完璧なクラス編成のもとすべてを対応することができるかもしれません。
稲荷塾はどうでしょうか?
稲荷塾がもし、大手のように上位も下位も対応してというようにやったら、リソースの限界が来て実績もあげられず、一瞬で潰れるでしょう。
我々も塾の存続を希望している以上、選択と集中をせざるをえないわけです。で、稲荷塾は上位層に対応できる塾でありたいと思っています。
しかし、上位層とひとくちにいっても単純ではありません。どの集団かによって全然違うからです。
例えば、灘の平均くらいの人は、洛星の10番くらい(もっと上?)であり、公立の断トツトップでしょう。
なので、学校の上位に対応するなどとは言えないんですね。ということで稲荷塾としては、東大京大レベルを将来的に狙いたいレベルの人に対応していきたいと思っているわけで、東大京大受験のための数学専門塾と言っているわけですね。(実際には作文や英会話もやっていますが。。。)
まあ、本当の本当の真に優秀な層は参考書などを与えてたら、すべて独学できるのかもしれません。しかし、一般的には、上位層ですら、いろいろと壁にぶつかるのが普通で、その時に、突破するための道標となったり、コミュニケーションのなかで刺激を与えたりフォローしたり、ライバルや仲間の存在といったところは必要なのではないかなと思うわけですね。
また、公教育の是正も稲荷塾にとっては重要テーマですね。
算数、中学数学、高校数学が0.7対1対5くらいの量の比なのに、かける時間が6対3対応3になっているので、そのバランスを是正しましょうというように伝えているわけですね。
あとは、学校が対応するつもりのないゾーンの対応は塾のもう1つの役割でしょうね。
その最たるものが中学受験です。
実際、公立小学校の算数のすべてのテストが満点でも、灘中の入試を受けたら10点くらいではないかと思います。
それくらい中学受験は特殊であり、それに沿った特殊な訓練が必要なんですね。(それが本当に将来的に必要であるかは別にして)
それで、特殊な訓練を担うのは、中学受験塾ということになっているわけですね。(稲荷塾ではない。)
もちろん、塾のノウハウを詰め込んだ教材として、四谷大塚の予習シリーズや、栄光ゼミナール系の新演習、塾技など、いろいろありますので、まあ家庭でできなくはないですが、ペースメーキングや、ライバルとの競争、復習テストなどきめ細かいフォローとかを考えたりすると、親も暇ではないので、実際にはなかなか大変だと思います。
あとは、幼児教育についてとかもちょっと話してましたね。
小3か小4のくらいの時点で、物事の理解の仕方とかいったものはかなり個体差が出ています。
いわゆる理解力というやつですね。
だとすると、結局小2くらいまでにどれだけ良質の教育を施すかが重要であり、それ以降の教育に携わるものにあんまり意味がないのか?みたいな過激な話をしてました。
実際中学受験塾の塾講師をしていた元同僚が、生徒のどうしようもない差に無力感を覚えて、幼児教育をもっと専門的に勉強するようになったやつもいました。
まあ、ぼくはもちろん意味はあると思ってやっているわけですがね。
まあ、そんな感じのことを話していましたね。
小学生も中学生も高校生も全部教えさせてもらっているという有難い立場に感謝しつつ、
いろいろと勉強して、考えて、保護者さんや生徒や地域に頼られる存在になりたいと思います!