考える力ってなんだろう。
松谷です。
考える力ってなんだろう。
適当にネットサーフィンをしていたら、
ある教育関係者の方がこう定義していました。
分かる、理解するとは、記号(言葉や文字など)で与えられたものから、視覚イメージを再現できること。
考える、思考するとは、記号から再現した視覚イメージを操作すること(複写したり変形させたり移動させたり比較すること)。
深く理解するとは、再現した視覚イメージから、感覚・感情を伴う原形イメージを再現し、感じ味わうこと。原形イメージは、実体験で感じ味わうことでのみ形づくられる。
なんてことが書いてありました。すなわち視覚イメージの重要性を説いてはったんですね。その人は。
もちろん、中学数学や高校数学に入ってくると単純に視覚イメージとかを湧かせることができないような抽象的なものも出てくるのでしょうが、その前段階の内容(小学生段階までということですね)については、そういう力が大事だという言説でした。
僕は、別にこの人の信者とかでもなんでもないです。
ただ、教えているときに、小学算数のときはかなり絵を描いたり図を描いたりしてなんとか理解してもらおうと努めつつ、図をかくのが大事なんやでとか言ってましたが、それはそのまま続けようと思いました。
また、少し早い学年で小学算数プリントを終えた子(小3とか小4で小学算数を終えたとか)にだけ中学受験の基礎的な算数を半年前後くらいのスパンで今はやってもらっているんですが、そのテキストには、特殊算もわずかに含まれているもののそれをマスターさせることが目的ではありません。そうではなく、僕としては、中学数学を少し先伸ばしにしてでも、いくつか思考の道具を増やしてもらいつつ文章題からイメージ化の練習や図形の練習をだいぶできるようなものを選んでるつもりなので結構意味があるのではないかなとなんとなく感じました。
まあ、中学数学にいきなり入ると難しいと思う子や、つまらないと思う子もいるのでできるだけ思考の基礎ができてから行って欲しいなと感じているんですね。(まぁ、もちろんこっちのそういった配慮など超越してできる子の場合はまどろっこしいと感じる可能性はありますがね。。)
そもそもなんでこんなようなことをネットで見ていたかっていうと、
教えていて、どうにも同じ間違えを繰り返したり、何を言っても上滑りして入っていかない子はどういうような思考の仕方をしているのかが最近気になっていたんですね。頭が悪いの一言で済ませるのもなんかなあと思いつつも、実際に、一つのことを理解させるのに途方もない労力がかかりつつ、それでいてすぐ忘れてしまうので、どういうようになっているのかなと考えていたんです。
で、そんなときに、生徒を観察していると結構考えているな理解しているなっていう一人の生徒の癖が気になったんですね。(小学生とかじゃないですが)
それは、こちらが質問をしたりこちらが何かをいったときに、すぐにぱっと返答できなかったり理解できない内容だったときの仕草なんです。こちらの発言のあと、一瞬のタイムラグがあって、そのときに何やら少しだけ視線を上に向けているんですね。そして、そのあとに、正しい答えを言ったり、もしくはやっぱりわかりません、といったりしてくるんですね。
で、その子だけなのかなと思ったらもう一人そんな子がいました。
おそらくなんですが、その視線を上に向けている時間の間に、頭を動かしている、すなわち、僕の質問や発言の意図を自分の中にイメージとして起こしているんじゃないのかなと思います。
こちらの説明がぱっと分からなくても別によいのですが、そのときに考えるという過程を踏むっていうことはやはり大事なんじゃないのかなと思うんですね。それで自分のイメージとこちらの説明や問題内容がつながったときに、わかった!ってなってすごく楽しいんじゃないかと思うんですね。
あっ、別に視線を上に向けろとかそういうことが言いたいんではありませんからね。そんな形だけ真似しても意味ないかなと思います。実際理解力が高い人で、そんな仕草なんてまったくない人もいっぱいいますしね。