「良い」と「善い」は違う

この前の日曜日、テニスの試合で宮嶋さんに勝つには勝ちましたが、彼の強烈なサーブに苦しめられ、何度もリターンエラーをさせられました。

この話を中井さんにしていたら、宮嶋さんがサーブ強化のトレーニングをしているという情報をくれました。

 

でも、

 

そんなトレーニングってあるのでしょうか?

私も結構熱心にトレーニングしていますが、サーブを強くするためのトレーニングなんてやったことがありません。

そこで、自分なりに考えてみた結果、その方法はある、という結論に到達しました。

それで早速、今日から始めてみたのですが、かなりきついです。

 

まあ、徐々に上げていきたいですね。

 

さて、今日は秀朋塾の塾長とお昼を一緒に食べました。

チューターの緒方君が秀朋塾でもバイトをしていたので、一度会おうということになったのです。

まだ42才とのことでしたが、かなりのやり手です。

彼の、20才で学生のときに起業して今日に至るまでの成功談、失敗談を聞きました。

約2時間、楽しい時間だったと言えます。

 

その話の中で気になったことを一つ。

これは、昨日のブログとも関連しますが、

「親は子どものために良かれと思って、結果的に間違った選択をしやすい」

ということです。

さらに言えば、明らかにバランスを崩しているケースであっても、そのことにすら気付きません。

何らかの根拠をもとに自分が正しい判断をしていると信じているからでしょうか?

もう、子どもがパンク寸前になっていても、その原因が自分にあることに気付かないのです。

 

おっとっと、

 

こんな話をすると、あんたもそうだったじゃないかと家内や子どもたちから非難されそうです。

確かに私も随分勘違いしていました。

でも、今はよく分かります。

「良い」と「善い」は違うと。

正しいかどうかは、見ている範囲によって変わってきます。

つまり、局所的に正しくても、大局的には正しくないということがあります。

一方、善いとは本当に良いことを言います。

 

そういう意味で、完璧な親などというものは存在しません。

みんな未熟なのです。

子どもを育てようとして、初めてそのことに気付きます。

だから、それを謙虚に受け止めて成長のための努力をしたいものです。

それに、それはとても楽しいですし。